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エースキラー先生の(自己満足)小説スレ(^_-)
1  エースキラー   2014/04/19(Sat) 16:06:07
気の向いた時にサッカー少年小説などを書きたいと思います(*^_^*)
 
お一人でも、おもしろいと言ってくださる方がおられたら、このスレは成功を収めたことになるかと思います。
これまで書いた小説のように一筆書きではなく、推敲をしての書き込みとなりますので時間はかかるかと思いますが、その点は、ご了承くださいませ(^_^)/
まあ何と言いますか、他の方にけっして書けないような小説を志向したいと考えておりますので(#^.^#) 独自の世界観という意味ですね。
それなりに忙しい、ち○こ・・・ではなく体ですので、書くペースはそれほど速くはないと思いますが、のんびりと、お付き合いください(*^_^*)



188  エースキラー   2014/07/29(Tue) 21:23:24:64
通常、劇画の主人公や、スポーツ小説の主人公が、ベスト4を懸けた重要な
試合の直前に、トイレに行ったまま戻って来ないなどという描写は、まず
描かないであろう。 もし、ご存じでしたら教えてください、その方面に
詳しい方。 どの方面なのか、いまいち良くわかり兼ねますが。
それこそが、この小説の優れた点と言いましょうか、飽く迄もシュールレアリスム
というものを、真摯に追及する姿勢が如実に現れていて、非常に好感が持てる。
それに最初にお断りしたように、これは爽やかなスポーツ小説などでは、
けっして、ないのだから。
しかし、そんな気楽なことを言っている場合ではなく、中盤は圧倒的に支配されるは、
ゴール前まで何度も攻め込まれてシュートを打たれまくるわで、非常に苦しい
試合展開になってしまっている。
早く戻って来てくれ、楓君、と川田はアラーの神に祈った。
トイレまで楓君の様子を見に行った、控えの選手が戻って来て、後半戦までには
戻ります、と楓君が言ってました、と伝えてくれた。
そうか、そうか、それならば、前半戦を何とか、0対0で終えてくれ、
と川田はまたしてもキリスト様に祈りを捧げた。
しかし、その祈りも虚しく、後半十六分、遂にディフェンス陣が完璧に崩されて、
失点を喫してしまった。 オー・マイ・ゴットと川田が叫んだ。
もう今日限り、アラーの神も、イエス・キリストも信じない、俺は今から
仏教徒になる、と川田は決心したのだった。
そして、前半戦が終了した。 予想された事とはいえ、楓君が欠けた影響は
余りにも大きかった。 だが、良く1失点のみで切り抜けられた、とも言えるだろう。
3、4点奪われていたとしても不思議ではない、試合展開だったからだ。
内のチームも知らない内に随分と強くなったものだ、と川田は感慨深げに、そう思った。
楓君抜きの県予選ベスト4を懸けた強豪チームとの試合で、前半戦を終えて
結果的に0対1のゲームを繰り広げているわけだから。
しかし、内容的には完全に圧倒されていたし、内のチームは一本のシュートさえも、
打つことが出来なかった。 ハーフタイム。 まだ楓君は戻っては来なかった。
心配になった川田がトイレへ様子を見に行こうとした時、ようやく楓君が
戻って来た。 足取りはしっかりとしていたが、顔色は余り良くはなかった。
嘔吐でもしたのだろうか?
189  エースキラー   2014/07/29(Tue) 21:26:36:13
最初にお断りしたように、と言いますのは、新しく書き直した序章を読んで
いただかないと、解らないことでは有ります。
190  エースキラー   2014/08/01(Fri) 00:28:50:99
「大丈夫か? 吐いたのか? 試合には出れそうか?」と川田が声を掛けた。
「平気です。 嘔吐はしていません。 試合の状況はどうなってますか?」
「それなら食中毒とかではなさそうだな。 取り敢えず安心した。
試合の方は前半を終えて、0対1で負けてる。 完全な劣勢だ。」
「それなら、後半戦で逆転しましょう。」と楓君が事も無げに言った。
「勝算はあるのか? その前に特製の軟膏をお尻の穴に塗ってやろうか?」
と川田がまた嬉しそうに聞いた。
「勝算は充分に有ります。 軟膏は結構です。」と楓君。
楓君が後半戦に向けて、さっそくアップを開始した。
楓君の動きは普段とそれほど変わらないように見えたので、川田は少しばかり
安心した。 いつも通りの楓君が戻って来てくれさえすれば、試合の流れは
前半とはまったく違うものになるだろう。
楓君がアップを始めただけで、相手チームに動揺が広まったように見えた。
相手チームは楓君の腹痛のことに関しては、当然、何も知らない。
どうして、前半戦に出場しなかったのか、という情報も知らされてはいないのだ。
最初から、こういう作戦なのか、前半戦は楓君を温存していたのか、とでも
考えているのだろう。
楓君が戻って来てくれたことで、内のチームの士気も上がっている。
内心、川田は楓君が後半戦もずっと、トイレの中で[真昼の決闘]を続けていたら、
どうしょうかと焦りに焦っていたのだ。
楓君には、やはりトイレの中ではなく、ピッチ上で決闘をして貰わなければ困る、
と川田はいつでも特製軟膏を塗れる準備を整えながら、そう思った。
川田は監督歴が長いので、怪我の救護班とは別に、自分でいろいろと怪しげな試薬品を用意している。
たとえば便秘に苦しむ選手にはイチジク浣腸を、下痢に苦しむ選手には下痢ストッパーと、
自分で調合した正体不明の特性軟膏などを。
試合の戦術については、余り考えない川田であったが、そういった方面の準備には
怠りがなかったのである。
191  エースキラー   2014/08/01(Fri) 04:33:57:59
だが、楓君は事も有ろうに、川田特製軟膏の使用を拒絶したのである。
これは川田に取っては非常に残念なことであった。 
これほど残念なことは、そうざらに有るものではない。
どれぐらい残念であるかという事を比喩など使って表現するとしたなら、二十年間
毎日、雨の日も風の日も休むことなく続けて来た財宝探しを、あと数十センチ採掘しさえすれば、
発見出来たところを、その直前で断念して止めてしまったような残念さであった。
楓君は勝算有りと明言したが、後半戦に二得点する自信が有るという事だろうか?
楓君は根拠のない発言は絶対にしない。 その楓君が勝算は有りますというからには、
それなりの理論的な裏付けと策略を持っているのだろう。
楓君は前半戦の間、ずっとトイレに籠って[俺達に明日はない]みたいな
困難極まる戦いを、たった独りで続けていて、試合の模様をまったく観ては
いないのだ。 従って相手チームの戦力分析も出来ていないはずなのだ。
それなのになぜ、あれだけ自信を持って、勝算は有ります、と言い切れるのだろうか?
これは飽く迄も川田の推測であって、楓君から直接、聞いたわけではないが、
おそらく、自分が抜けたチームから一点しか取れなかった、という結果から、
それほど得点力のあるチームではない、という結論を導き出したのではないだろうか。
それとも、高碕のチーム時代に、練習試合などで対戦経験が有るのかも知れない。
とにかく、強豪チームと年中試合をしているようなチームだったのだ。
何れにせよ楓君は自信を持って、はっきりと断言してくれたのだ。
内のチームが後半戦に逆転するためには、後半の出来るだけ早い時間帯に
同点に追い付き、あとは、じっくりと攻めて、もう一点を狙いに行く、というのが
常套手段である。 もちろん、試合終了間際に立て続けに二点奪って、
逆転勝利を収める、といったドラマティックな展開も有るには有るが、
そういうのは余り心の臓には宜しくないだろう。
事実は小説より奇なり、というう言葉が良く使用されるが、実際にサッカーの
試合においては、創作を遥かに凌駕するようなドラマが頻繁に起こるものである。
だからこそ、サッカーというスポーツが世界的な人気を博しているわけだが。
192  エースキラー   2014/08/02(Sat) 03:45:23:39
内のチームに取って最も危惧される展開は、後半戦の途中に再び楓君がピッチを離れ、
トイレの個室内で[荒野の七人]のような困難極まる戦を開始するという最悪のシナリオであろう。
そういう事態だけは絶対に避けて貰わないと困る、と川田は三度、神に祈った。
今度は奈良の大仏様と鎌倉の大仏様と勝尾寺に手を合わせた。
今のところ楓君は元気であり、そのような兆候は見られない。
アップをする内に顔色も良くなって来ている。 しかし、人間の体というものは、
いつ、どうなるか、わかったものではないのだ。
つまり、いつ何時[夕陽のガンマン]が始まっても不思議ではないということなのだ。
川田が特製軟膏をワナワナとした手で握り締めながら、そんなことを、あれこれ
心配している内に、後半戦がスタートした。
本人の希望もあって、楓君はワントップでは起用せず、中盤の底、ボランチに
配置した。 楓君のことだから何か考えがあっての事だろう。
確かに楓君をワントップに置いてしまうと、前半と同じように中盤を相手チームに
支配されてしまい、楓君が前線で孤立してしまうことは目に見えているのだ。
それぐらいのことは川田にだって解る。 伊達に十四年間も少年サッカーの
監督を務めているわけではないのだ。
中盤に楓君一人が加わっただで、面白いようにパスが繋がるようになり、
ボールポゼッションも断然、こちらが優位になった。 見事である。
これはベンチから見ていても、何か目に見えない魔法でもかけたのではないか、
と思えるような激変振りであった。
中盤でパスが繋がるようになると、当然、攻撃にもリズムが生まれて、
前線にも縦パスが供給されるようになる。
あとはフィニッシュ、つまりゴールを決めることだけだが、これはそう簡単には行かない。
一点リードしている相手チームは、当たり前のことだが、ゴール前をガチガチに固めて来るからだ。
ワントップの前田拓也にパスが通っても、ドリブルでディフェンダーを何人も抜き去って、
シュートまで持って行くような超絶的なテクニックは、持ち合わせてはいない。
それが可能なのは、内のチームでは楓君だけだか、楓君はゴールから遠く離れた
ボランチのポジションにいるのだ。




193  エースキラー   2014/08/04(Mon) 00:59:55:11
しかし、楓君というプレーヤーは融通無碍であり、ポジションというものに
不自由極まりない法律のように縛られるほど愚かではないのだ。
たった今までボランチの位置でディフェンスをしていたかと思っていたら、
ほんの僅かに目を離した隙に右サイドハーフに移動していたり、次の数秒後には
左サイドにポジションチェンジしていたりするのである。
まさに変幻自在で捕まえ処がない。
当然、そのことによって生じたスペースは、他のプレーヤーがカバーするわけだが、
その辺りのことはミーティングで綿密に打ち合わせてあるのだ。
楓君がジワリジワリと前線に上がって行く。
相変らず中盤でのパス回しとゲームの組み立ての枢軸に君臨しているのは楓君だが、
楓君がポジションを上げると供に、次第に相手チームのバイタルエリア内で
パスが回るようになって来た。
予想されたことではあるが、楓君一人が中盤に加わっただけで、内のチームは
前半戦とはまったく違うチームに生まれ変わってしまったのだ。
楓君は中盤でパスを回しながら、自ら前線に飛び出すタイミングを見計らっている。
単独でドリブルで切り込むつもりなのか、上手く他のプレーヤーを使って突破するのか。
その、どちらも可能だろうが、他のプレーヤーを使う場合、そのプレーヤーが
ミスを犯せば、攻撃はそこで終わってしまう。
それどころか、相手チームのカウンター攻撃を食らう危険性も孕んでいるのだ。
楓君はチームメートを信用してはいるが、試合の後半戦に入って一点ビハインドという、
後のない状況に追い込まれた中で、どういった決断を下すのか見物ではある。
相手チームも楓君が危険なプレーヤーであることは充分に認識していて、
注意を怠ることはない。
こういった状況下で楓君は果たして、どのようにして堅牢なゴールを抉じ開ける
つもりなのだろうか?
川田もドキドキ、ハラハラしながらも、興味深く戦況を見守っていた。
突然、楓君の身に[リオ・ブラボー]が襲来しないことだけを祈りつつ。
楓君は単独でドリブルで突破することも、前線でパスを回すことも選択せず、
一旦ボランチの位置まで下がって、ピッチ全体を俯瞰で捉えようととしているように、
川田の目には映った。 冷静なのだ、非常に。
相手チームのゴール前の守りが予想以上に強固であり、オーソドックスな攻め方
では崩すことが困難であると判断したのだろう。

194  エースキラー   2014/08/04(Mon) 01:03:03:96
捉えようとと×
「と」が一つ多いですね(-_-;)
おっとっと(#^.^#)
195  エースキラー   2014/08/04(Mon) 13:41:03:12
楓君はスローテンポで中盤でパス回しをしていたが、突然、見当違いの方向へ
縦パスを放り込むと、トップスピードで前線へ駆け上がって行った。
だが、見当違いの方向と思ったのは、試合を観ていた観客の大部分と、
相手チームのプレーヤー達と、その他大勢だけであって、楓君が縦パスを
放り込んだ場所には、まるで予定調和のように、ワントップの前田拓也が、
なぜか完全フリーの状態で走り込んでいた。
楓君がパスを出す直前に、それが見えていたのは、おそらく、ピッチ内、
ピッチ外を含めて、楓君一人だけだったのではないだろうか。
楓君からパスを受けた前田拓也は、巧みにボールをキープしたが、あっという間に
三人のディフェンダーに囲まれてしまった。
これはだめだ、と思った川田だったが、次の瞬間、前田拓也はディフェンダー
の股間を通す見事なパスを、風のように走り込んで来た楓君に、ジャストタイミングで
通して見せたのだ。
何だ、あれは、と川田は驚愕した。
あいつはいつの間に、あんなテクニックを身に付けたんだ、と。
少なくとも何か月か前までの前田拓也は、あんなき気の利いたお洒落なパスを
出せるようなプレーヤーではなかったはずだ。
ゴール前ではいつも力み過ぎてしまい、シュートをクロスバーの上にふかして
ばかりいた、へぼストライカーだったのだ。
それが何だ、今のディフェンダー三人を纏めて手玉に取るような、テクニカルな
パスは・・・。 一体何がどうなったというのだ?
とにかく、前田拓也からのパスは物の見事に楓君に通った。
三人のディフェンダーが前田拓也を取り囲んでいたわけだが、ゴール前をガチガチに
固めている相手チームは、ペナルティーエリア内に更に二人のディフェンダーが
待ち構えていた。 


196  エースキラー   2014/08/04(Mon) 23:45:01:53
ボールが足から離れないドリブルを駆使する楓君に対しては、PKを取られる
危険性が高いので安易にスライディング・タックルを仕掛けることが出来ず、
といってボールを奪いに行っても躱されてしまうと判断したのか、二人のディフェンダー
は、楓君から少し距離を置いた場所で、キーパーの指示に従ってシュートコースを
消すことに専念していた。
これはこれで大変、賢明な作戦ではあるが、楓君は得意のドリブルでディフェンダー
二人を抜き去って、シュートを放つだろう、と川田は予測した。
これまでの楓君のゴールシーンは、ほとんどが、このパターンだったからだ。
ゴールの枠を外す可能性が高いミドルシュートやロングシュートは選択せず、
相手ディフェンダーを完璧に崩してから、ゴールにパスをするような絹のように
優しいコントロールシュートを、春の夕暮れ時の空を通り過ぎて行く茜色の雲のように
流し込んで見せるのが、楓君のスタイルだからだ。
だが、この時の楓君はドリブル突破を選択せず、左足インフロントでカーブを
掛けたシュートを、ディフェンダーの心理の裏を読んで、助走もステップも一切なしに、
海面から唐突にジャンプする飛び魚を想起させるように、いきなり放て見せたのである。
何のアクションもなく突然放たれたシュート、ストレートパンチを予測していた
ボクサーに、予期せぬ左フックが炸裂したかのように、相手ディフェンダーも
キーパーも反応することが不可能であった。
楓君が放ったシュートは、ゴールポストの外側から雨上がりの虹のような
美しい放物線を描いて、ゴール左隅ギリギリの場所に、まるで熟練の測量士が
慎重に計測したかのような正確さで吸い込まれて行った。
相手チームのキーパーとディフェンダーの二人は、シュートコースを完璧に
消したつもりになって、楓君のドリブル突破だけを待ち構えていたのだが、
楓君にだけは海水浴場の砂浜に忘れ去られた夏の終わりの日焼け止めクリームの容器のように、
もう一つ残されたシュートコースが見えていて、そのコースに寸分の狂いもなく、
シュートを放って見せたのであった。
197  エースキラー   2014/08/06(Wed) 02:18:46:47
得意とするドリブルによる突破で相手ディフェンダー二人を躱してから、
シュートを放った方がゴールの確率が高かったのではないか、と川田は分析
したが、楓君には太陽を西の空から昇らせて見せるほどの、絶対的な自信が
有ったのだろう。 そして、この先に待ち構えている、準決勝、決勝のためにも、
様々なパターンのシュートを披露しておいた方が、情報戦を制するためには
有利に働くことだろう。
対戦相手が、どういった対応をするか迷ってくれるからだ。
楓君がそこまで計算して、シュートを選択したかどうかは不明だが、具眼の士である
楓君ならば、その程度の布石を打ったとしても何の不思議もないように思える、
と川田は推察した。
或いはトイレで考える人のポーズをしながら、熟考を重ねていたのかも知れない。
それは兎も角として実に恐ろしいプレーヤーである。
ゲームの流れを変えるだけには留まらず、ガチガチに守備を固めた相手から、
意表を突く美しいゴールを決めて、ゲームを振り出しに戻してしまったのである。
それもピッチに登場してから、たったの五分足らずの時間で。
勝算は有ります、とはっきりと楓君は断言した。
それは、この地球は何れ必ず滅亡します、といった予告(予言ではない)と同じぐらい
明確なものであった。
おそらく、もう一点を奪うためのプランも周到に用意しているのだろう。
まるで速力の早い駆逐艦で魚雷などを用いて敵の戦艦に風穴を開けるようにだ。
しかし、楓君のシュートはもちろん見事だったが、その前の前田拓也のパスも
実に素晴らしかった。 あのパスが楓君に通っていなければ、楓君のゴールも生まれ
なかったことになるからだ。
楓君は今更言うまでもなく超絶的なプレーヤーであるが、けっしてエゴィスティック
ではなく、チームメートを信頼し、他のプレーヤー達を実に巧みに生かして使う。
だからこそ、他のプレーヤー達も楓君の期待に応えようとして、自分の能力以上の
プレーを、まるで帽子の中から万国国旗を引っ張り出して見せる奇術師の如くに、
引き出されるのかも知れない。 そのように考えると、川田は思わず鳥肌が立つのを
感じた。 楓君の才能を見出して、自分のチームに強引に加入させたのは自分だが、
まさか、これほどまでのプレーヤーだとは予測していなかったからだ。
予測を越える僥倖、僥倖を越える現実、現実を越える真夏の昼下がりの白日夢である。



198  エースキラー   2014/08/07(Thu) 05:16:33:72
もしも、楓君が最初からドリブル突破を試みていたとしたら、あっという間に
4、5人のプレーヤーに囲まれてしまい、籠の中の不自由な小鳥と化して、
流石の楓君でもボールを奪われていたに違いない。
パスを選択し(そのパスそのものが、超絶的であったわけだが)前田拓也の
のテクニックを全面的に信用して前線に走り込んで、リターンパスを受け取って
その面貌と同じぐらいに美し過ぎるゴールを決めて同点に追い付く。
それは前田拓也を信用していないと出来ないプレーだし、あのパスコースも、
そしてシュートコースも、おそらく楓君にしか見えていなかっただろう。
楓君にしか出せない絶妙のパスを出し、楓君にしか見えないコースに寸分の
狂いもなく、シュートを放ちゴールネットを揺らし同点にする。
それだけの仕事をピッチに入ってから、たったの五分足らずの時間で遣って退けた
わけである。 川田は余りの凄いプレーの連続に、ベンチから立ち上がることさえ
忘却して、只、茫然とした表情でピッチを眺めていた。
監督がこれではいけないとは思うが、テクニカルエリアに出て行ったとしても、
あんなパスと、あんなシュートの指示を出すことなど到底、不可能なのだから。
試合が再開された。 楓君はまたすぐに、ボランチのポジションに戻って行った。
渡り鳥が春の到来と供に居住地を変更するように。
楓君一人が加わるだけで、どうして中盤で急激にパスが回るようになり、
ボールポゼッションが飛躍的に向上するのだろうか、と川田は考えた。
これは譬え彼の天才物理学者アインシュタイン博士でも、簡単には解けない
相対性理論を遥かに凌駕する難問である。
だから、川田如きがいくら不足した脳細胞を総動員して熟考したところで、
その回答を導き出すことは不可能であろうが、推測することなら可能だ。
単純に考えれば(単純にしか考えられないのだが)、天才的なテクニックを持った、
頭脳と心臓が重病人に点滴を投与するみたいにチームに注入されるから、
ということになるのだろうが、それだけではないような気がする。
不思議なことに、楓君がチームに加わることによって、他のプレーヤー達の
レベルまで同時に向上するように感じられるのだ。

199  エースキラー   2014/08/08(Fri) 00:39:35:19
前田拓也の三人のディフェンダーに就縛されながらの、股間を通すパスなどは
その典型的な例であろう。
おそらくは楓君以外のプレーヤー達も、それなりのポテンシャルは秘めている
のだと思われる。 楓君はそのプレーヤー達、個々の潜在能力をほんの一欠けらの
ダイヤモンドの原石から、巨大な鉱脈を発見するかのように、見事に引き出して
見せるのだろう。
だからこそ、楓君一人がチームに加入しただけで、まるで違うチームに変化
してしまったかのような雰囲気を与えるのではないか、と川田は考えた。
これは、それほど的外れな推測ではないだろう。
川田にしては上出来であると言える。
それにしても、これはまるで卑金属を貴金属に変えるがごとき魔法であって、
楓君はチームに魔法を掛ける錬金術師ということになるだろう。
川田はあと一点を、楓君がどのような形で取りに行くのか、ということに
興味があった。 同点に追い付かれたのだから、相手チームもこれまでのように、
ゴール前をガチガチに固めているだけの戦い方では、勝てなくなってしまった
わけだが、だからといって無謀に攻勢に出ることは避けるだろう。
楓君というプレーヤーの、キマイラかグリュプスを彷彿させるような怪物的才能を
嫌と言うほど見せ付けられた直後だからだ。
だから、或いは今まで通り守備を固めて、同点のままで試合を終えて、PK戦で
決着を付ける作戦を取って来ることも考えられ、相手チームの戦術に応じて、
当然こちらの対応も柔軟に変えて行かなければならなくなる。
サッカーのゲームというものは、常に切断された百足の二つの胴体のように、
不気味に蠢いているものなのだから。
相手チームの戦術の変更に応じて、臨機応変に頭を切り替え、狩りする狼の群の
ように素早く戦術を組み替えて、それを瞬時に実行に移すことが求められる。
そのために監督も、当然テクニカルエリアから、大声で指示を出す。
しかし、その指示がピッチに散らばっているチーム全員に行き渡り、
チーム全員がその戦術の変更を理解した時には、時既に遅しということが頻繁に
起きることになるのだ。 何と言ってもサッカーのピツチは広大である。
だからこそ、ピッチの中にもう一人監督が存在するというのが、理想形であるわけなのだ。

200  エースキラー   2014/08/09(Sat) 03:18:00:84
この状況下においては相手チームがあと一点取って勝ちに来るのか、
それともPK戦狙いの戦い方で同点のまま試合を終わらせようとするのか、
という見極めを迅速且つ正確に行い、そのための対処法を瞬時に決定する
必要がある。 そして、こちらもPK戦狙いの戦術を取るのか、それとも、
もう一点奪って勝ちに行くのかを素早く決定して、そのことをチーム全員に
理解させなければならないのだ。 一番まずいのはチームの意思統一を欠いた
状態で、中地半端にゲームを続けることだ。
そのような愚だけは犯したくはない。 相手チームのフォーメーションから察する
限り、明らかに一点リードしていた時とは異なり、攻撃に重点を置いた戦術に
シフトさせているのが見て取れた。
PK戦狙いではなく、もう一点取って試合で勝敗を決める腹積もりのようだ。
これは、おもしろいことになりそうだ、と川田はワクワクした気分で、そう思った。
サッカーの試合はこうでなくてはいけない。
PK戦狙いで同点のまま試合を終わらせようなどという、退職金と年金だけが
目当てで退屈な仕事を続けている、腐敗した公務員のような試合を見せられるのだけは、
もう、たくさんだと思ったからだ。 
国の威信が掛かったワールドカップなら兎も角として、少年サッカーで、
そんな退屈なな試合を見せられるのは、御免被りたい、と川田はいつも考えていた。
少年サッカーでは負けても失う物など何もないのだ。
それどころか、負けた試合から学ぶことの方が多いのだから、真向勝負を挑むべきなのである。
国民の血税を使って温泉旅行をするような姑息な税金泥棒のような試合だけは、
してほしくはない、と川田は思っていた。
川田もテクニカルエリアから大声で指示を出したが、それよりも、ピッチ内の
もう一人の監督である、楓君の指示の方が遥かに素早く的確であったようだ。
相手チームはもう一点取りに来る、そして、こちらも、もう一点奪って試合中に
勝負を決める、というチーム全体の意思統一が瞬時にチーム全員に行き渡り、
止まっていた古い柱時計が、何かの拍子に突然、動き出したかのように
両チームの動きが突然スピーディーになり、俄かに試合がおもしろくなって来たのである。

201  エースキラー   2014/08/09(Sat) 03:22:04:26
200♪

「な」が一つ多いようだが、それぐらのことは許せ、税金泥棒供が。
202  エースキラー   2014/08/10(Sun) 23:41:17:85
それと同時に楓君は、ボランチから右サイドハーフにポジションを変更し、
ワントップだった前田拓也が中盤に下がって、再びゼロトップシステムに
フォーメーションを変化させた。
非常にシステマティックである。 そして、このシステムをチーム全体に
徹底させたのは、楓君であって川田はそのことに対して何の指示も出してはいない。
総てはチームの天才司令塔、楓君の腕のいい泥棒のような抜け目のない策略なのである。
迅速なシステム変更、素早いチーム内の意思統一、揺るぎのない戦略、それらは
極めて短期間の内に楓君がチーム全員に植え付けたものだ。
楓は内のチームの頭脳であり、心臓なんだよ、と言っていた高崎の言葉が再び、
川田の脳裏に蘇った。
そして、今年の高崎のチームに楓君がいれば、本当に全国大会で優勝出来たかも
知れないな、と川田は思ったのだった。
その可能性の萌芽を、お金の力と卑劣極まりない謀略を用いて強引に奪い取った
のは、誰あろう川田本人ではあるのだが・・・。
それは兎も角として、ゲームの流れは非常にスピーディーになり、攻守の切り替えも
早くなって来た。 しかし、クールな司令塔である楓君は、ポーカーゲームを
プレーするギャンブラーのような、孤独で、狡猾で、冷徹な表情で試合をコントロールしている。
この試合は勝てる、相手がほんの少しでも隙を見せれば、一気に勝負を懸けてやる、
そのように考えてプレーを続けているのだろう。
だが、その背中には真冬の海岸を独りで散歩して、落ちている美しい貝殻を拾い上げて、
それをそっとポケットに入れるような哀切に満ちた匂いが漂っていた。
試合の方は一進一退の素晴らしい戦いになっている。
どちらのチームにも得点の匂いがするし、同時に失点を喫する危険な香りも秘めている。
これこそがサッカーだ、と川田は思った。
そして、自分のチームが県予選のベスト4を懸けた試合で、これだけの好ゲームを
繰り広げているのを観て、感動の余り泣きそうになってしまったが、
監督が泣いている場合ではないので、必死になって我慢をしたのである。


203  エースキラー   2014/08/13(Wed) 23:51:56:66
キーパーを含めたディフェンス陣も良く耐えているが、楓君が絡んだ中盤
でパスが回ると常にゴールの匂いがする。
相手チームには楓君のようなスーパープレーヤーがいないので、バイタルエリア
に侵入されただけでは、それほどの脅威を感じることもなく、ペナルティーエリアまで
持ち込まれた時点で、初めて失点の危機を感じる。
その差はかなり大きなものだ。 前にも書いたように、楓君はミドルシュートや、
ロングシュートを狙うタイプのプレーヤーではない。
もちろん、ピッチ全体を常を視界の中に捉えているプレーヤーなので、
キーパーが不注意に前に出て来ているのを見れば、ロングシュートを選択する
ことも有り得るだろうが。
しかし、楓君は剃刀の刃のような鋭いドリブルや、速射砲のごときパスという、
相手に取って非常に危険な飛び道具を隠し持っている。
いや、そのドリブルとパスは、[リオ・ブラボー]のコロラドのような、
二丁拳銃を自在に操る早打ちのガンマンと形容した方が適切かも知れないが、
とにかく、とんでもなく危険なドリブルとパスを隠し持っていて、ここぞという
チャンスが訪れた時に、それらの武器を効果的に使用して、コンマ何秒かの時間で
勝負を決めてしまう。
相手チームに取っては、これほど厄介な存在もないだろう。
ドリブルとパスだけではない。 楓君は別にストライカーではないが、
多彩なシュートのバリエーションを持っていて、その時の状況に応じて、
それらを巧みに使い分け、これまでの県予選でシュートの山を築いて来ているのだ。
相手チームは明らかに勝負に来ていて、ゴールを狙ってはいるのだが、
楓君という規格外のスーパープレーヤーを如何にして止めるか、ということも
最重要課題なのである。
だから、全員攻撃、全員守備という戦略を取ることが出来ず、センターバックの
二人は、まるで用心深い城の門番のように、常に自陣ゴール前に残しているのだ。
204  エースキラー   2014/08/16(Sat) 01:56:33:73
しかし、その二人のセンターバックとキーパーがコーチングして、シュートコースを
完璧に消したはずのゴールに、楓君はつい先程、芸術的なシュートを決めたばかりなのだ。
次は相手も同じ過ちは繰り返さないだろう。
ボールをキープしている楓君から強引にボールを奪いに来るか、ファウル覚悟で
スライディング・タックルを仕掛けて来るだろうと予測される。
だが、楓君の方も当然そのことを読んでいるだろう。
柳の下に二匹目の泥鰌はいない。 その程度のことを予測していない楓君では
ないだろうから、その裏をかいたプレーを選択するに違いない。
そして、相手チームも、そのことを想定している可能性が高いので、更にその裏をかいて・・・切りがない。
畢竟、楓君の頭の中は川田にも、まったく解読することが出来ない。
それは光などまるで届かない、恐怖を感じるほどの闇に包まれた深海の底を、
何の文明の利器も使用することなく探索する、無謀極まりない暴挙に酷似している。
だから、相手チームにも、それを完璧に解き明かして白日の元に晒すことは、おそらく不可能だろう。
そのような点を冷静に考慮すると、ガチガチにゴール前を固めて同点のまま試合を終え、
PK戦で勝敗を決する方が相手チームに取っては賢明かも知れない。
だが、相手チームは安全策を捨て敢えて勝負に出て来た。
相手チームの監督は漢なのだ、と川田は思った。
公務員の人生のような退屈なゲームを子供達に強要したくなかったのだろう。
だからこそ、楓君というプレーヤーの恐ろしさを充分に認識した上で、
敢えて勝負を挑んで来たのである。
それならばこちらも受けて立ってやろう、と川田は決心した。
それが相手チームに対する最低限の礼儀であり、相手をリスペクトすることにもなるからだ。
時間はまだ、たっぷりとある。 とは言っても少年サッカーの試合時間は短い。
あっという間に時間が経過して行く。 攻撃こそ最大の防御である、とばかりに
相手チームも盛んに攻めまくって来る。

205  エースキラー   2014/08/16(Sat) 23:39:18:48
楓君がボランチにいない分、後半の最初の頃よりは中盤で相手チームのパスが
繋がるようになって来た。 楓君もディフェンス陣を信頼して、守備よりも
攻撃に主体を置いているように見える。
肉を切らせて骨を断つ、もしも相手チームに一点奪われたなら、自分が二点取って
逆転してやる、とでも考えているのだろうか?
楓君も漢である、と川田は思った。 そして本物の勝負師なのである。
名前と風貌は中性的だが、流石に付く物が付いているだけのことはある、と川田は
またもや試合中に猥褻な想像を働かせながら、勝負の行方を見守っていた。
まあ何と言うか、そういう、おっさんなのだから仕方がないのである。
だが、今回だけは、楓君のサカストの匂いについては、何も考えなかった。
今、そんなことを想像してエレクトしてしまうと、折角、真剣勝負を挑んでくれている、
相手チームを冒瀆することになり、夜空に煌めく星々までを自分の精液で穢してしまう
ような気がしたからだ。
そんなことを問題にするのならば、楓君の使用後のサカストを本人に無断で、
スポーツバックから盗んで、家で冷たいビールなど飲みなから一発抜いたりする
蛮行は、楓君を著しく冒瀆することになるのではないか、という、ご指摘は当然
有ると思われますが、何度も言うように川田という監督は、元々そういった男であり、
ジャン・ジュネの[泥棒日記]などを愛読している本物の泥棒監督なのだから、
どうしょうもないのである。
尚、川田監督という人物は、単なる小説の登場人物の一人であり、作者とは
何の関係もないと言う事実を、ここで、はっきり断言しておきたいと思います。
これは日記でも私小説でもなく、フィクションなのですから。
それは兎も角として、、ピツチ上では熾烈な戦いが繰り広げられていて、時間はどんどん経過して行く。
監督がこの状況で考えなければならないことは、選手交代についてだが、
今はへたに動いて選手を交代させてしまうと、却ってチームのバランスが
壊れてしまいそうに思えたので、何人かの交代要員をアップさせてはいたが、
ここは、このままで行くべきだろう、と川田は判断した。



206  エースキラー   2014/08/17(Sun) 23:44:58:97
理論ではなく第六感という奴である。 川田という男はけっして名将、知将の
類いではないが、こういった第六感だけは野生動物並みの鋭利な感覚を備えて
いたのである。 その川田の第六感が、今は余計なことはせずに、ベンチに座って
猥褻なことでも考えていろ、と教えたのである。
川田はもちろん喜んで、猥褻なことを想像しまくった。 主に楓君に関しての。
先程、書いた相手チームに対する礼儀、リスペクトはどうしたのだ、とお考えの方も
おられることだろうが、川田はだって神様からの、そうしろというお告げが
あったんだもん、と考えていた。 実に現金なおっさんである。
今は選手交代など余計なことは何もするな、今ピッチにいる選手達を全面的に
信用すべきである、お前はいつも通りにベンチに座って、猥褻なことでも考えていろ、と。
そして、その川田の第六感、神様のお告げは物の見事に的中することになるのであった。
ボランチのポジションに回っていた広瀬 翼が、相手ボールを奪取することに成功し、
ドリブルでセンターサークル辺りまで運びながら、パスを出す味方選手を探した。
だが、パスコースというパスコースは総て消されている上に、マークも地獄の
門番のように厳しかったので、一旦、センターバックの石田直人にボールを戻した。
石田直人は最終ラインで冷静にパスを回しながら、再びバイタルエリアの手前まで
上がっていた広瀬 翼に鋭い縦パスを通した。
広瀬 翼は今の内のチームの中では、楓君の次に利発なプレーヤーであり、
ドリブルとパスのセンスも兼ね備えている。
基本的な技術もしっかりとしているし、ボールキープ力も、それなりに持ち合わせている。
しかし、まるで土竜のように地味で華がないのだ。
もしも楓君がいなければ、広瀬 翼が今のチームの司令塔になっていたのだろうが、
それでは不満だったので、川田は物語の最初の方で「優秀な司令塔が欲しい」
と呟いたのである。 川田も不満だろうが、作者もそれでは小説を書くことが出来なくて
非常に困ったことになるのである。
土竜のように地味な司令塔を主人公に小説を書くというのは、まるで真面目な
だけが取り柄の銀行員の伝記を書くようなものなのだ。
そんなものは誰も読まないだろう。
207  エースキラー   2014/08/18(Mon) 23:03:09:11
例えば広瀬 翼には、ディフェンダー二人とキーパーに、シュートコースを
完璧に消された状態で、左足インフロントでカーブをかけて、ゴールポスト
の外側からゴール左隅ギリギリのコースに、シュートを決めて見せるような
創造性と、天才的な閃きは持ち合わせてはいないだろう。
それから、その前に前田拓也に出したような、まるで大空を飛翔する猛禽類が、
水面に影を映した獲物を目敏く発見し、それを一瞬の躊躇いもなく捕らえて、
再び大空高く舞い上がるようなパスを出すことも不可能であろう。
だが、広瀬 翼のようなプレーヤーはチームには絶対に必要なのだ。
地味で、堅実で、泥臭くて、華はないが基本的なテクニックはしっかりしていて、
大きな破綻がなく、チームのために献身的にプレーし、頭も良くて、そこそこ
気が利くプレーヤーの存在だ。
確かにチームの司令塔としては物足りない部分が多い。
面白みも無ければ、意外性やクリエーティビティーも欠如している。
要するにファンタジスタではないというか、その対極とも言える存在であろう。
しかし、本当の意味でファンタジスタの称号に相応しいプレーヤーは、
これまでのサッカーの長い歴史の中でも、ロベルト・バッジョ只一人だけなのかも知れない。
その反対にというか、楓君のプレーは泥臭くもないし、地味でも堅実でもない。
チームのために体を張ってディフェンスをすることもない。
もちろん、基本的なテクニックは身に付けているが、スーパープレーもするが、
破綻がまったくないわけではない。 諸刃の剣と言うか、そのプレースタイルには
常に危険性を孕んでいる。
しかし、観ている者を常に魅了するし、夜空に煌めく特等星のごときスター性を、
生まれながらにして持ち合わせているのだ。
これらの要素は当然、練習でも指導でも、身に付けることも、教えることも
不可能な領域であることは言うまでもないが。

208  エースキラー   2014/08/20(Wed) 06:39:12:16
だから、神様というものは実に意地悪で偏頗なのだと言えるだろう。
広瀬 翼も、翼という名前から推測して、おそらく両親のどちらかが(おそらく父親)
[キャプテン翼]の熱心な読者であり、男の子が生まれたものだから、将来はサッカーを
やらせて、あの大空 翼君のような天才的で華麗なミッドフィルダーになって、
背番号10番を背負いキャプテンになって欲しいと願ったのだろう。
しかし、その結果は皮肉なことに土竜であったわけなのだ。
だが、譬え土竜とはいえボランチは重要なポジションであり、守備的とは言っても
立派なミッドフィルダーなのである。 楓君も試合の状況に応じて自らの判断で、
ボランチにポジションを変えたりしているのだ。
だから、広瀬 翼君のご両親は、それほど大きく外したわけでもないということになるだろう。
人生はそう百パーセント思い通りに事が運ぶわけではないのだ。
土竜でも泥鰌でも満足しなければならない。
石田直人からのパスを受けた広瀬 翼は、オーバーラップして来た右サイドバックの
小林 舜に右足アウトサイドで、素早く正確なスクエアパスを流した。
その小林 舜の前方数メートルの位置には、楓君が、ぼくはこの試合とは何の
関係も有りません、というような表情で、犬の散歩でもするように、ゆっくりと
歩いている。 楓君には当然マーカーが張り付いているが、楓君に何のアクションも
見られないので、拍子抜けして手持無沙汰な顏をしている。
ボールをキープした小林 舜は前方に向かってドリブルを開始した。
まるで楓君に向かって突進して行くようにも見えた。
一歩の楓君は、相変らず素知らぬ顔でピッチ上で犬の散歩を続けている。
楓君をマークしていたディフェンダーは、楓君をフリーにするわけにも
行かないので、他のプレーヤーが小林 舜を止めるためにカバーに入った。
広瀬 翼は小林 舜と併走していて、その広瀬 翼に小林 舜が右足インサイドを
使ったパスでボールを預けた。
相手ゴールまでの距離はそれほどないが、相手チームも強固な守備ブロックを
形成していて、スペースが見当たらない。
もう一度ボールを後方に戻すしかないのか、それから楓君は一体、何を企んで
いるのだろうか、と川田は考えた。
209  いぬ   2014/08/20(Wed) 09:40:38:67
一方で ?
210  エースキラー   2014/08/20(Wed) 23:19:06:67
一歩の×
一方の○
211  エースキラー   2014/08/21(Thu) 00:21:09:24
確かに今、楓君がゴールに向かって走ったとしても、あっという間に三人ぐらいの
ディフェンダーに包囲されてしまうだろうことは、火を見るよりも明らかだ。
相手チームも、それぐらいの準備はしているだろうし、心構えも出来ているだろう。
楓君がピッチ上で愛犬の散歩を続けている限りは、相手チームのマーカーも、
ディフェンダーも特に脅威は感じないだろう。
ボールは広瀬 翼から前田拓也に渡っているが、広瀬 翼や石田直人、そして
小林 舜の間でパスが回っているだけでは、少しもゴールの匂いがしないからだ。
川田は、もしかしたら楓君は再びピッチ上で腹痛に襲われてしまい、動きたくても
動けない状態なのではないか、と心配したが、どうやら、そうではないようだった。
前田拓也がボールをキープしてドリブルを開始した直後に、それまでピッチ上で、
のんびりと日曜日の朝の愛犬の散歩を楽しんでいた楓君が、突如として右サイドから
疾風のごときスピードでマーカーを軽く振り切り、交代に右サイドへ走り込んだ
広瀬 翼とクロスオーバーして、ピッチ中央へ切り込んで行ったからだ。
今まで油断していた相手チームのディフェンダー達は、ジェットコースターが
突然、猛スピードで逆走し始めたほどに狼狽した。
楓君がピッチ上の第三者的行動から、本来の獲物を狙う隼に豹変したからだ。
もちろん、相手チームが最も恐れているのは、広瀬 翼でも、小林 舜でも、
前田拓也でも、その他のプレーヤー達でもなく、七瀬 楓で有ることは言うまでもない。
予想通り、3、4人のディフェンダーが砂糖に群がる蟻のように、楓君一人を取り囲んだ。
しかし、この時点でボールを所持しているのは楓君ではなく、前田拓也なのである。
当たり前のことだが、ボールを所持していないプレーヤーはシュートを放つことは出来ず、
サッカーというスポーツは、ボールをゴールに入れることを最終目的としている。
楓君は只、単に右サイドからトップスピードで、ピッチの中央へ向かって
走り込んで見せただけのことだ。 愛犬の散歩に厭きて気分転換のために走りたくなった
だけなのかも知れない。 ボールを所持している前田拓也は、マークの厳しい楓君にではなく、
楓君と入れ替わるようにして右サイドへ走り込んで来た広瀬 翼にパスを出した。
212  エースキラー   2014/08/21(Thu) 21:04:44:68
当然の選択てある。 楓君には3、4人のディフェンダーが張り付いているが、
その分、右サイドにいる広瀬 翼は完全にフリーな状態になっていたからだ。
前にも書いたように、広瀬 翼は普通に優秀なプレーヤーである。
フリーな状態に置かれたら、右サイドから精度の高いクロスボールを放り込む
程度のスキルは、充分に持ち合わせているのだ。
これも何度も書くが、この段階では楓君は特に何もしていない。
ボールも所持していないので、シュートを放つことも、パスを出すことも出来ないわけだ。
今まで、のんびりと愛犬の散歩を楽しんでいた子供が、突然、猛スピードで
走り出したのと同じ程度のことしかしていない。
逆に言えば、たった、それだけのことで、相手チームの3、4人のディフェンダーが
慌てふためいてしまったということになる。
それは、もちろん、スカウティングによって、これまでの県予選における楓君の情報が、
各選手の頭の中にインプットされているということになるだろう。
情報というのは非常に大切なものだが、時と場合によっては、それが人の心を
必要以上に惑わす悪魔にも成り得るということだ。
頭脳明晰なる楓君は、その情報を逆手に取って利用する術を会得しているように思える。
これも大切なことなので繰り返し記載するが、所謂デコイラン、囮の動きを
最大限に利用して他の味方の選手をフリーにし、スペースを生み出しているわけだ。
例えば楓君が自分でボールを所持して、得意とする超高速ドリブルでピッチ中央に
切り込んで来たというならば、3、4人のディフェンダーで包囲しなければ危険だろうが、
今の楓君は空気中を浮遊する藻菌類のように、ピッチ上を自由気儘に彷徨っているだけで、
直接プレーに関与してはいないのだから。
陸上の選手でも、犬ても、走る時は走るのだ。 陸上の選手と犬を一緒にしてはいけないが、
陸上の選手はタイムを縮小するために一生懸命走っているのだろうし、
犬だって訓練された利口な警察犬などは、犯人の匂いを嗅ぎ分けて追いかけたり、
犯人を追い詰めて全力疾走したりするのだ。
利口でない犬がなぜ走るのかについては、犬に聞いてみないことには解らないが。
だが、サッカーにおける、オフ・ザ・ボールの動きには、非常に重要な意味があるのだ。
情報というものが大切な武器になる今の時代には、逆にそれを利用して相手を
欺くことも同時に可能なる。
そして、それを逆利用出来るかどうかは、チームの監督であったり、情報収集の担当者で
あったり、チームの司令塔の頭脳に依拠されることになるのだ。





213  エースキラー   2014/08/23(Sat) 01:47:12:80
広瀬 翼がタッチラインに沿うように全速力で駆け上がる。
前田拓也は広瀬 翼に「フリー」というコーチングをしてから、相手ゴールの
ファーサイドの方向へ、こちらも全速力で駆け上がって行った。
楓君はディフェンダー数人に、まるで性犯罪を犯して連行される犯人が、
警官に囲まれるように包囲されていて、ベンチにいる川田からはその姿が確認出来ない。
しかし、密集の中にいることは確かで、こちらはゴール・ニアサイドの方向へ向かって
集団で移動している。
前田拓也は相手から完全に舐められているようで、一応マーカーは付いているが、
たった一人だけで、しかも、それほど密着マークというわけではない。
前田拓也はこれでも県予選で得点を決めているし、ベスト8を懸けた試合では、
見事なディフェンダーの股間を抜くパスを通しているのだが、その辺りのスカウティングは、
楓君ほどには厳密に行われていないようだ。
広瀬 翼が角度のないところから、スピードのある低空飛行で、しかも正確なクロスボールを
ゴール前に放り込んだ。
相変らずベンチにいる川田からは、楓君の位置は確認出来なかった。
只でさえ小柄な上に、大勢の敵味方のプレーヤー達が、甘い蜜に群がる蜂のように
入り乱れていて、何がどうなっているのか解らない状態になっていたからだ。
しかし、楓君は小柄な体格ではあるが、アジリティーに関しては他の誰にも
負けない天才的なものを持っているので、おそらくは、どんな密集地帯に中でも、
その状況における最適なポジショニングを取るに違いない、と川田は思った。
しかし、流石に広瀬 翼である。 フリーなのだから当然と言えるかも知れないが、
実に素晴らしいクロスボールを蹴る。
あれだけのスピードと低い弾道を描くクロスボールでは、キーパーはまず前に出ることは
不可能だろうし、小柄な楓君でも頭で合わすことが可能になるからだ。
214  エースキラー   2014/08/23(Sat) 21:16:30:82
地味ではあるが、けっして名前負けはしていない。
いや、アニメの主人公と比較するのは可哀想だろう。
広瀬 翼は飽く迄も広瀬 翼なのだから。
地味な銀行員の生活にだって、きっと楽しいことはたくさんあるはずだ。
只、伝記を書くためには、とんでもない筆力を必要とするというだけのことなのである。
言葉の錬金術師と呼ばれる、ジャン・ジュネなら何とかするかも知れないが、
卑金属を貴金属に変えるどころか、金投資で損ばかりしている凡庸な作者には、
とても無理な話である。 しかし、怪物作家と言われるジャン・ジュネの才能を持ってしても、
無理なものは無理かも知れない。
彼の小説の中に登場する人物は、良く言えば個性的、悪く言えば悪党がほとんどで、
真面目な銀行員や公務員は出て来ないからだ。
それに作者自身が本物の悪党なのである。 また話が逸れた。
今は大切な試合中なのである。 しかも、勝敗を決する瞬間が今まさに訪れようと
しているのだ。 サッカーの話に戻さなければならない。
地味な銀行員の伝記など、譬えジャン・ジュネが今生きていたとしても、
絶対に書くことはないだろうから、余計な心配などする必要はないのである。
これでは試合中に猥褻なことばかり考えている川田監督と大同小異ではないか。
これではいけない。 とにかくサッカーである。
尚、地味で真面目な銀行員や公務員の皆さんに別に恨みや文句があるわけでは有りません。
伝記を書くのが非常に困難である、ということが言いたいだけのことです。
広瀬 翼には広瀬 翼の生き方があり、土竜には土竜の生き方があるのである。
どんなに足搔いてみても土竜には隼のように大空を飛翔することは出来ない。
この時点で一番、問題になるのは、今、楓君がどういう状況に置かれているか
ということなのだ。
ゴール・ニアサイドには、選手達がまるで通勤地獄の満員電車に詰め込まれて、
呼吸をすることもままならない生活福祉課の職員のような状態に置かれているので、
おそらくは楓君も、その中に含まれているのだろうと思われる。
通勤地獄と書いたが、地獄には地獄の楽しみ方というものが、存在することも確かである。
川田も時々、用事もないのに満員電車に乗り込み、痴漢などを働くことがあるが
(作者ではなく川田である。 くれぐれも混同しないように)満員電車には
そういった楽しみもある・・・らしいのである。 また話が逸れてしまった。

215  エースキラー   2014/08/25(Mon) 01:06:11:59
広瀬 翼が放ったクロスボールは、狙ってそうしたのかは定かではないが、
かなり低い弾道で、ヘディング・シュートを決めるには少しばかり低過ぎるし、
ボレー・シュートを狙うにしては少々、高過ぎるように思えた。
それにスピードがかなり速いので、ヘディング・シュートをで決めるにせよ、
ボレー・シュートを狙うにせよ、ピンポイントで正確に捉えるには、
かなり高度なテクニックを求められるだろう。
楓君がフリーな状態であれば難なく決めるだろうが、痴漢が活躍しそうなほどの
密集地帯の中で、お互いに牽制し押し合い圧し合いしながら潰し合っているような
状態では、ボールに触れることさえ至難の技に思えた。
クロスボールをゴール前に放り込んだ広瀬 翼にしても、キーパーが飛び出せない
場所に、スピードのあるクロスボールを入れて、誰かがボールに触れることさえ出来れば、
何かが起こるだろう、という狙いで速くて低いボールを蹴り込んだのであろう。
何と言っても、その密集地帯の中には姿さえ見えないとはいえ、どんなに難しいボールでも
何とかしてくれそうな、楓君が含まれているのだから。
広瀬 翼が蹴った低くて速いクロスボールは、ゴール・ニアサイドの密集地帯の中へ
飛び込んで行った。 おそらくは広瀬 翼の狙い通りなのだろう。
もしも、楓君がクロスボールを蹴っていたとしたなら、ゴール・ファーサイドで、
ほぼフリーな状況を作り出していた前田拓也を視界の隅で捉え、そこにピンポイント
でクロスボールを放り込んだことだろうが、そこら辺りは持って生まれた才覚の
違いなので、そこまでのことを広瀬 翼に期待するのは酷というものだろう。
とにかく、広瀬 翼が放ったクロスボールは、かなりの高速と低い弾道で、
ゴール・ニアサイドの密集地帯の中に吸い込まれて行ったが、その中の誰かが
頭か足かも定かではないが、その、かなりの難易度を要求されるクロスボールに
触れたようで、明らかにボールの角度が変化して、スピードはそれほど落ちることもなく、
弾道の低いライナー性の軌道を保ったままで、ゴール・ファーサイドで待ち受けていた
前田拓也の足元に、まるで職務に忠実で有能な郵便配達人が配る手紙のように
寸分の狂いもなく届いた。
216  エースキラー   2014/08/26(Tue) 00:37:33:82
こういった郵便配達人は伝記にこそならないだろうが、満員電車で痴漢を
働くようなこともないのだろう。 いや、人間なんて何を仕出かすか
解ったものではないので、郵便配達は真面目でも痴漢は働くかも知れないが、
そんなことは取り敢えず、どうでもいいことではある。
この場面で一番、驚いたのはおそらく前田拓也だろう。
もちろん、前田拓也は一応ストライカーであるから、ゴール前では常に零れ球を
狙ってはいるが、これは零れ球というよりは密集の中からの高精度のパスであろう。
偶然なのか、必然なのかは不明だったが、とにかく、ストライカーである自分の目の前に、
絶好のチャンスボールが有能な郵便配達人によって届けられたのだ。
これを決められないようだとストライカーとは言えないだろう。
しかし、この時の前田拓也には、のんびりとボールをトラップして、落ち着いて
シュートを狙うような時間的余裕は、与えられてはいなかった。
そのような株が大暴落してから、さあ、そろそろ売りに出そうか、などというような
悠長なことをしていたら、あっという間にシュートコースを消されてしまい、
ディフェンダー数人に、まるで女子トイレを盗撮した犯人が国家権力者に逮捕されるように、
その周囲を包囲されてしまうだろう。
その前に職務に忠実な振りを装った偽善的な警備員様などに、周囲を取り囲まれて
身動き出来なくなってしまう恐れもある。
コンマ何秒とは言わないが、早ければ一秒、遅くとも二秒もあれば、確実に
そういう状態になってしまうだろう。
だから、そうなる前に素早く逃走しなければならないのでる。
いや、そうではない。 これはサッカーの話であった。
だから、前田拓也は誰かの体のどこかに触れ、若干、減速したとはいえ列記とした
ライナーボールをノントラップで、しかもボレーシュートを狙うという、
かなり難易度の高い技に挑戦することを、余儀なくされたわけである。
しかし、この決定的な場面で前田拓也は、またしてもスーパープレーを披露
してくれたのであった。
217  エースキラー   2014/08/26(Tue) 15:28:50:08
あのベスト8を懸けた試合での、ディフェンダーの股間を抜いた見事なパスに続いて二度目の快挙である。
あの時は川田も、あれは百年に一度咲くと言われているアンデスの女王、プヤ・ライモンディが満開になった
のと同レベルの奇跡だと思っていた。
だが、奇跡も二度続くと奇跡ではなくなる。 立派な実力である。
川田はこれまで前田拓也のことを、大事な場面でシュートを外してばかりいる、
へぼストライカーだとばかり思っていた。
川田は優秀な司令塔が欲しい、と呟いたが、本当は大事な場面で決定的な仕事をしてくれる、
決定力のあるストライカーも喉から手が出るほどに欲しかったのだ。
因みに喉からは喉ちんこは出ても、けっして手が出ることはないであろう。
もし出るようなことかあれば、それは妖怪である。 
楓君の喉ちんこも、やはり、ちんこなのだろうか、と意味不明のことを考えながら、
川田は前田拓也の実力を称賛していた。
県予選を直前に控えた時期に、高碕のチームから楓君の他に優秀なストライカー
も欲しい、と希望したところで、百パーセント拒否されただろう。
高崎のチームが県予選で敗退した後ならば、高碕の方から4、5人の優秀な
プレーヤーをレンタルしてもいい、という申し出があったが、川田はもう一つの
目的のための障害になると考えて、その親切な申し出を断ったのであった。
決定的な場面で確実にゴールを決めてくれる仕事師的なストライカー、
チームに取ってはこれほど頼もしい存在は他にないだろう。
これまでの県予選では、楓君がその役割を担って来たわけだが、対戦相手の
レベルがどんどん高くなり、楓君に対するマークも厳しさを増して来ると、
楓君一人の得点だけに頼るわけにはいかなくなってくるのだ。
そういった場合には楓君が囮になって、フリーな選手とスペースを作り出そうと
努力しているのだが、折角、楓君が努力して囮になり、フリーな選手とスペースを
作り出したとしても、その選手がパスやトラップをミスしたり、シュートを
外しまくったりしたならば、試合に勝てるはずもないのだ。
覚えておられる方は覚えておられると思いますが、楓君は内のチームに加入してすぐの、
まだ県予選がスタートする前の練習で、そのことを川田に直訴しているのだ。
ぼくにばかりボールを集めることはせずに、パスを出来るだけ散らしてください、と。
これこそが本物の先見の明というものである。




 


218  エースキラー   2014/08/26(Tue) 22:36:01:01
しかし、この決定的な局面において、少し前まではへぼストライカーであったはずの
前田拓也が、極めて難易度の高いシュートを、右足インステップで見事に
ジャストミートして、キーパーも動くことが出来ないような強烈なシュートを、
ゴール右隅に決めて見せたのである。
それを見た川田は、前田拓也はこれまでアホの真似をしていただけで、
実は天才なのではないだろうか、と思った。
天才というのは少しばかり褒め過ぎだが、極稀にど派手なことをやらかしてくれる
プレーヤーであることは確かだ。 大試合に強いタイプなのかも知れない。
余り細かい事を考えるような選手ではないので、その可能性は大いにあるだろう。
少なくとも土竜の広瀬 翼よりは小説の主人公には向いている。
広瀬 翼はどう考えても無理だ。 見事なクロスボールを上げたボランチの
プレーヤーというだけでは、名脇役にはなれても主役にはなれないだろう。
サッカーは得点を競うゲームであるから、どうしてもゴールを決めた選手が主役になってしまうのである。
広瀬 翼を無理矢理に主人公にして小説を書いた場合を想定すると、
おそらくは読者の九十パーセント以上が、読み始めてすぐに熟睡してしまうだろう。
強力な睡眠薬である。 退屈なのはそのプレースタイルだけには止まらない。
性格的にも何一つ面白みがない上に、気の利いた台詞を言うことも皆無だ。
そして、その外見も土竜である。 顏が土竜にそっくりだという意味ではなく、
これといった特徴に乏しく、描写する気にもならないぐらい地味だということだ。
冗談一つ言うにも、三時間ぐらいは真剣に考えないと何も浮かんでは来ないような性格と、
何等、特筆すべき外見的特徴も面白可笑しいエピソードも、武勇伝のようなものも一切ない、
退屈の見本のような学校教師が極めて平凡に生きた生涯を緻密に描いた、
管窺れい側のサンプルのような伝記を誰が読むというのだ。
伝記というものは、その人物が偉大な発明、または業績を上げ、しかも、
その人物の人生が波乱万丈であり、その上に破天荒な発言と行動、奇行などが
加味されればこそ、読者を強く引き付け読んでみたいという気持にさせられるのである。
219  エースキラー   2014/08/26(Tue) 22:44:24:12
菅窺れい側のれいは変換せず(-_-;)

意味・・・くだの穴から天を窺い、ほら貝で大海の水を測るように、
     極めて見識の狭いたとえ。 略して管れいとも言う。
     れいはほら貝。 一説に、ひさご。
220  エースキラー   2014/08/27(Wed) 22:43:13:28
その点、小説というのはフィクションであるから、いくらでも波乱に満ちた
ストーリー、破天荒な人物を作者が自由に創造することが出来て便利である。
川田のような監督が、もし現実に存在したとしたなら、すぐに保護者などから
苦情が殺到し、監督を辞めなければならなくなるだろう。
もっと偽善的に振る舞う必要があるのだ。 不審者が子供に接近するような
ことがあれば、子供を守らなければならない、などと心にもないことを言って
偽善者然とし、国家権力者に通報したりしなければならないのだ。
そういう監督に限って本人が変質者であったりするわけだが、そういった
趣向、本心は巧妙に隠蔽して、第三者を性犯罪者に仕立て上げる策略には怠りがない。
その類の少年、少女のスポーツ指導者が、山ほど善人面をして監督などを務めたり
している現実を見抜かなければならない。 もちろん、総ての指導者がそうだと言っている
わけではない。 人間的にも、指導能力にも優れた監督は、たくさんおられるのだ。
川田のような隠蔽工作のへたな監督は、現実世界ではすぐに監督を辞さなければ
ならなくなるだろうが、小説ではそうはならない。
川田のようまキャラクターが、どうしても必要だから登場させているのである。
監督としての力量だけならば、間違いなく高崎の方が上だろう。
しかし、高碕監督には酒飲みでスケベという、川田と共通した部分は有るものの、
住宅ローンと子供の教育費に苦しむ、どこにでもいそうな只のおっさんでもある。
しかし、一方の川田は大きく異なる。 独身であり、実に自由奔放に好き勝ってに
生き、その性格は実に破天荒であり、名将、智将とは言えないかも知れないが、
チームの勝利のためには手段を選ばないし、金も惜しまない。
そして正真正銘の悪党である。 だからこそ、この小説には不可欠な人物であり、
事実上の主役なのかも知れない。 また話が逸れた。
とにかく、前田拓也はスーパーゴールとも言える、シュートを見事に決めて見せ、
これで2対1とリードを奪い、後半戦残り時間5分となり、ベスト4進出に大きく
近付いたのである。 この場面での相手チームの決定的なミスは、まず広瀬 翼を
右サイドでフリーにしてしまったこと、そして前田拓也の実力を甘く見過ぎた
ことであろう。 しかし、見逃してはならないことは、この二人のプレーだけでは、
けっしてゴールは生まれていないということだ。
221  エースキラー   2014/08/28(Thu) 22:30:59:20
これは試合が終わってから判明したことだが、2点目のゴールを決めた最高の
殊勲者は、やはり楓君であったということだ。
ゴール・ニアサイドの密集地帯の中で低い弾道のハイスピードのクロスボールに
ヘッドで合わせてコースを変えたスーパーテクニックである。
只、単にコースを変えただけではないところが、楓君の本当の凄さである。
最初、ダイビングヘッドでのシュートを狙っていた楓君は、シュートコースが
完璧に塞がれていることを瞬間的に見て取って、それこそコンマ何秒かの判断で、
ゴール・ファーサイドにでほとんどフリーな状態になっていた前田拓也に、
ヘッドに掠らせて絶妙のパスを送ったのである。
そのテクニックも人間技を越えて超絶的だが、その前にあの痴漢も活躍しそうな
ほどの密集地帯の中で、ゴール・ファーサイドにいる前田拓也の姿が、見えていた
ということが、信じられないぐらい物凄いことなのである。
あの状況下の中で、そんなことをコーチング可能な選手はいないだろうから、
楓君にだけは前田拓也が見えていた、ということになるだろう。
自分が囮になって他のプレーヤーをフリーな状況にし、スペースを作り出すという、
楓君が得意とする策略だが、他のプレーヤー、この場面では広瀬 翼と前田拓也の
二人を全面的に信頼していないと、成立しないプレーではある。
楓君がエゴサントリックなプレーヤーではないということは、前述した通りだが、
法的に定められた通りに、当然、均等に分配しなければならないはずの相続財産を、
人の無知とお人好しに狡猾に付け込み、口約束などは平気の平左で反故にして、
相続財産を不当に独占しているような、強欲で吝嗇で傲岸不遜なる糞爺などとは
同じ人間とは思えないほどに大きく異なり、けっして手柄を独り占めしょう
などとは微塵も考えてはいないということになる。
チームプレー・・・当然のことだ。 サッカーは十一人で行うスポーツであるから
(最近は少年サッカーは8人制に移行したりしているようだが)他のプレーヤー達を
信頼し上手く生かして使わないと、畢竟、楓君本人が一番、苦労をすることになり、
延いてはチーム全体が機能不全に陥ってしまうのである。
222  エースキラー   2014/08/28(Thu) 23:14:39:80
ゴール・ファーサイドにで×
ゴール・ファーサイドで○
223  エースキラー   2014/08/28(Thu) 23:18:21:14
あの状況下の中で×
あの状況下において○
224  エースキラー   2014/08/29(Fri) 13:42:05:52
残り試合時間は5分。 一点リードを奪った試合の後半戦で、時間を上手く使って
ゲームを組み立てることは、マリーシアの神である楓君の十八番であるから、
総てを任せておいて何の心配もいらないだろう。
楓君は再び自らボランチのポジションに下がり、前田拓也をワントップに置いた布陣で、
その他のメンバー全員で蟻一匹通さないような鉄壁の守備ブロックを形成している。
後半戦に一点リードした場合には、瞬時にこのフォーメーションに切り替える、
という約束事が予めミーティングで決められているようで、チームの意思統一が見事に図られていて、
迷いや戸惑いのようなものは一切、感じられなかった。
もちろん、このようなシステムをチーム全体に浸透させたのは、川田ではなく、
チームの頭脳である楓君であることは敢えて言うまでもないだろう。
楓君はもちろん、ピッチ上で犬の散歩を楽しんでいたわけではなく、アカデミー主演賞級の名演技を披露していたのであり、
恍けた表情をしながらも、その頭の中は高速回転で駆動していたことも容易に想像することが出来る。
楓君はまるで南米のプレーヤーのような狡猾さを駆使し、時間を実に巧妙に消費して行く。
楓君の手に掛かると、まるで時間が穴の開いた風船のように、見る見る内に
萎んで行くように感じられるのだ。
一体、このような狡賢さは誰に教わって身に付けた武器なのであろうか、という
当然の疑問が川田の心を、魚が飛び跳ねた後の水面に広がる波紋のようにざわめかせた。
高崎だろうか? 高崎という監督も、もちろん優れた戦術家であるから、
選手達にトーナメント戦でリードを奪った場面での、戦い方は伝授しているに違いない。
しかし、教えたからといって、総てのプレーヤーがそれを実際のゲームで、
しかも県予選のベスト4進出が懸った実戦の舞台で、完璧に実行出来るとは
とても思えないのだ。 何と言っても相手は小学生である。
マリーシアを教え、それを実際のゲームで遂行させるのは、テクニックや戦術を
教えるよりも、ずっと難しいはずだ。
個人の性格的な問題や、環境も影響してくるだろうし、当然、頭の良し悪しも関係する。
だから、そう簡単に行くはずもないのである。


225  エースキラー   2014/08/29(Fri) 22:41:48:84
実際、少年サッカーのレベルでは、テクニックを教えることだけで精一杯で
(それだけで充分だと考えている指導者も多い)、マリーシアはおろか、
戦術さえ、ろくに教えていない指導者も多いだろう。
別にそれで間違ってはいないとは思う。 戦術ぐらいは教えるべきだとは思うが、
マリーシアまでは・・・。 楓君はJリーグの下部組織チームに所属していた
本物のエース・プレーヤーであるから、テクニック、戦術はもちろんのこと、
マリーシアについても念入りに教え込まれ、そして、それを持ち前の頭脳で
完璧に理解したのだろう。
楓君の本当の凄さは、それを自分だけで理解したに止まらず、極めて短期間の内に
チーム全員に浸透させてしまったということだ。
これはまさに魔法としか言いようがない。 とにかく、楓君がチーム全体に
浸透させた狡智によって、試合時間は刻々と過ぎ去って行き、遂にベスト4進出を
告げる誇らしげなホイッスルの音が、ピッチ全体を御伽の国の絨毯のように包み込んだ。
とても信じられないことではあるが、これで川田のチームはベスト4に進出し、
来週には準決勝と、その試合に勝てればの話ではあるが、全国大会出場を懸けた
決勝戦を戦うことになったのである。
川田がその夜、西部劇のガンマンのコスチュームプレーをして、ウイスキーを
ショットグラスでストレートで飲み狂い、その挙句に全裸になって、サンバを
踊りまくったことは、ここだけの国家機密なのである。
スーパーミドル級が激しく揺れ、近隣に設置された地震計の針が震度1の
微震を観測したとか、しなかったとか。

第9章・・・完

226  エースキラー   2014/08/30(Sat) 23:30:03:48
第10章

天空にまで届くかと思われるような、永遠と同程度に長くて急勾配な二重の
螺旋階段をようやく登り詰めて、座り心地の良い高価なソファーに腰かけ、平和で安堵の
気分に浸ることが出来たのも、ほんの束の間、川田の見据える視線の先には、
今度は人工的に建造された螺旋階段などではなく、今にも奈落の底へと突き落されて
しまうような、余りに急斜面に過ぎるため樹木や草花さえ生育しないような、
無骨な岩だらけの世界が果てしなく広がる荒涼たる風景が、行く手を遮るように
横たわっていた。それは最早、風景でさえなかった。
実に殺伐としていて、よじ登ろうとする人間達を冷たく拒絶するような、殺意に満ちた
自然の要塞なのだ。 サッカーの試合で負けても別に殺されることはない。
心は奈落の底、或いは海溝の底に沈んでも、肉体はピッチ上に残ったままだ。
だから、安心して何度でも死ねるのだ。
これから対戦することになる準決勝と決勝の相手は(決勝の相手はまだ決まって
いないが、順当に行けば高崎のチームを葬り去った、優勝候補のJリーグの
下部組織チームが勝ち上がって来ることが予想される。 その前に内のチームが
準決勝で勝たなければ決勝戦はないわけだが)これまで対戦したチームとは、
少しばかり、ものが違う。
スカウティング、ミーティングは、もちろん綿密に抜かりなく行ったが、
流石の楓君も今回は、勝算は有ります、とは言わなかった。
その代わり、戦ってみないことには、どうなるか解りません、と言ったのだ。
おそらく、楓君本人のいた高崎のチームであったなら、楓君は自信を持って、
勝算は有ります、と言ったのではないだろうか。
しかし、内のチームはあれから、かなり長足の進歩を遂げているとはいえ、
楓君のいる高崎のチームに9対0の大敗を喫した、元へぼチームなのだ。
勝算は有ります、などという、まるで火星には蛸のような姿をした宇宙人が
生息しています、と言うのに類似した発言は、楓君だけではなく脳天気な川田
にだって言えないだろう。 組み合わせに恵まれたということもあるが、
ここまで勝ち残って来られたというのが、そもそも奇跡的なことなのだ。
それに対戦相手は楓君のいる内のチームを甘く見て、手を抜くことは絶対にないだろう。
内のチームを最大限にリスペクトし、全力を挙げて楓君を潰しに来ることが予測される。
だから、楓君が何の怪我もなく、決勝戦の最期までピッチに立っていられる
という保証はどこにもないのである。



227  エースキラー   2014/08/31(Sun) 22:42:17:46
おまけに天候の方も、とても六月とは思えないような、亜熱帯性気候のような
灼熱の太陽が情け容赦なく照りつけていて、上空は雲一つ見当たらない上に、
風もほとんどなかった。
選手達の体力の消耗は当然、激しくなることだろう。 選手交代のことは
頭に入れてはいるが、チームのエースであり司令塔でもある楓君には、
二試合供フル出場して貰わなければならない。
しかも、二試合供に強豪チーム相手になるので、適当に手を抜いたり、
流したり、体力を温存しておいて次の試合に備える、などの方策を取ることさえ
許されないだろう。
楓君には持っている体力の残り一滴までを使い切って戦って貰う必要がある。
そして・・・と考えて川田は不敵に微笑んだ。 
県予選で優勝して全国大会に出場するのも良し、残念なところで負けるのも、
また良し。 俺に取っては、どちらに転んでも薔薇の花が咲き誇る楽園が
待っているのさ、と川田は考えていた。
奈落の底にだって、きっと美しい花が咲いているに違いないだろう、と。
奈落の底に狂ったように咲き誇っているだろう美しい花は、一体どんな色を
しているのだろうか?
おそらくは綺麗なピンク色で、ねっとりとした手触りの粘膜質をしていて、
まるで赤い舌で入念に舐め回して猥褻に濡れたような光沢を放った花弁を淫らに
満開にさせて、川田が来訪するのを今か今かと待ち焦がれているように思えた。
アップを済ませただけで既に汗だくになった選手達が、川田の周囲に集まってくると、
ダークラム酒と生暖かく熱せられた濃厚なミルクが融合して、危険な化学変化を
引き起こしたような芳香が立ち込め、その媚薬のごとき効能を発揮する香りが、
試合前の緊張した川田の心を甘い蜜のように蕩けさせた。
残念ながら楓君は川田からは一番離れた場所にいて、宇宙の彼方を見詰めている。
きっと何かが見えるのだろう。
フォーメーションは前田拓也のワントップでスタートするが、例によって
楓君の号令で瞬時にフォーメーションが変化することになっている。
228  名無しさん   2014/09/04(Thu) 13:49:01:87
川田がテクニカル・エリアから大声で指示を出すよりも、ピッチ上の監督からの
指令の方が、遥かに早くて的確だからだ。
ポジション・チェンジも楓君の判断とコーチングによって、随時、行われることになっている。
総てはチームの頭脳である楓君の英断に委ねられているわけだ。
だから、川田の仕事は選手交代のタイミングを見極めることだけである。
観客の数は試合を重ねる毎に増えて来ているし、楓君目当ての他チームの
(主にJリーグの下部組織)スカウト、そして黄色い声援も増加しているようだ。
言うまでもなく黄色い声援は、土竜の広瀬 翼にではなく、七瀬 楓に向かって
集中的に浴びせられているものだ。
何回も土竜、土竜と気楽に書いているが、モグラ科といものが、きちんと有りまして、
ミズラモグラ、センカクモグラ、エチゴモグラの三種は絶滅危惧種に指定されている
らしいのである。
猫科というのが有ることは、もちろん知っていたが、モグラ科といのが有るのは、
今日の今日まで知らなかった。 絶滅危惧の動物辞典などを愛読していると、
いろいろと勉強になるものである。
スカウトの方は楓君だけではなく、他のチームにも素晴らしい選手が、たくさん
いるらしく、メモなど取りながら熱心にご覧になっている。
この暑いのにご苦労なことである。 試合開始時間は午前11時だが、
気温は既に三十度を軽くオーバーしていて、ピツチレベルでは、おそらく
三十五度ぐらいには達していることだろう。
芝生の照り返しというのは、想像以上に暑さを増幅するものなのだ。
川田から数メートルほど離れた場所でスパイクの紐を結び直している楓君に、
観客の中にいたらしい五歳ぐらいの坊やが突然、接近して来た。
観客のいる場所とピツチは、緑色のネットで遮断されているのだが、どうやら、
そのネットの下を潜り抜けて入って来たようだった。
一瞬、楓君の弟だろうか、と思った川田だったが、楓君には弟はいない。
その坊やは一直線に楓君に接近して行って、楓君の前で立ち止まった。
楓君も怪訝そうな表情をしている。
229  名無しさん   2014/09/04(Thu) 23:25:49:45
楓君のファンで握手かサインでも欲しいのだろうか、と川田は推測したが、
どうやら、そうでも無さそうだった。
「お兄ちゃんは少し前に変な夢を見たでしょ? あの夢は物凄く悪い予知夢
なんだよ。 それでその悪いことはこれから起こるんだ。 だから少しでも早く、
この場所から離れて家に帰った方がいいよ。 家の中にいれば何も起こらないから。」
それだけを言い残して坊やは、さっさとネットの下を潜って観客の中へと戻って行った。
「何なんだよ、あの変なガキは。」と前田拓也が言った。「この場所から離れろって、
これから大事な準決勝と決勝が始まるんだぞ。」
川田は気になったので、ネツトの隙間から外へ出て観客の中を探してみたが、
さっきの坊やの姿はどこにも見当らなかった。 消えたのだ、本当に。
雨上がりの空を一時的に芸術作品に変えてくれる虹のように、有り触れた街並みを幽玄の世界に見せてくれる朝霧のように、
夕暮れ時の雲をピンク色に染めるサイケデリツクな太陽光線のように、跡形もなく完全に消えてしまった。
五歳ぐらいの坊やが、そんなに速く走れるはずもないし、観客の中に紛れると
言っても、それほど人が多いわけではない。 楓君に言いたいことだけを言い残して、消滅してしまったのだ。
「消えた。」とベンチに戻って独り言のように川田が呟いた。
「人間が消えたりなんかしませんよ。 オカルト現象じゃあるまいし。」
といつものポーカーフェイスに戻った楓君。
「でも本当にどこにも姿が見えなくなってしまったよ。」
と観客の中を見回しながら、前田拓也が幽霊でも見てしまったかのような
不安そうな表情で、そう言った。
「人間は多分、消えたりはしない。 UFOに拉致されたりしない限りはな。
でも、もし人間ではなかったとしたら・・・。」と川田が声を潜めて言った。
230  名無しさん   2014/09/05(Fri) 02:51:39:55
「人間じゃないって、それなら一体何なんですか、あの子は?」と前田拓也が
震えた声で聞いた。
前田拓也は幽霊とか、おばけの類いが非常に苦手なのだ。
「変なことを言って選手を怖がらせるのは止めてくださいよ、監督さん。
これから大事な試合なんですから。 あれだけ小さい子だったら、どこかに
紛れ込んで見えなくなったりすることも有りますから。」と飽く迄も冷静な楓君。
「それが、どこにもいないんだよ。 念のため、あの坊やがネットの下を潜った辺りに
おられた保護者の方に、今の子はどこへ行きましたかって聞いてみたんだが、
今の子って誰のことですか、って逆に質問されてしまったよ。 つまり、
観客は誰も今の坊やを目撃していないということになる。 どうやら、あの坊やの姿を
見たのは、俺と内のチームのメンバーだけのようなんだ。」
「監督さん・・・。」と前田拓也が泣きそうな声を出した。
「だから、大事な試合の前に変な話をするのは止めてくださいよ、監督さん。」
楓君が真剣な表情で抗議した。
「俺だって言いたくはないけど、本当のことなんだから仕方ないじゃないか。
嘘だと思うなら、自分で観客に聞いて確かめてみろよ。 消えたというよりも、
最初から存在していなかったんだよ、あの子は。」
「もういいです、忘れましよう。 もうすぐ試合が始まりますから。」と楓君。
前田拓也はまだ震えている。 他の選手達も不安そうな面持ちで、観客の方に
視線を泳がせている。 川田と控えのメンバーも含めると二十人近くの目が、
さっきの坊やの姿を探しているのだが、誰一人として坊やの姿を発見することが出来ないのだ。
やはり、あの坊やは消え去ってしまった、というよりも最初から観客の目には
何も見えてはいなかったのだ、と考えるのが自然だろう。
楓君は無理矢理に否定したが、これは列記としたオカルトである。
超自然現象なのである。 

231  名無しさん   2014/09/05(Fri) 13:31:08:56
楓君も、このように外見的には冷静さを装いながら、華麗なボール・リフティング
などをして体をほぐしてはいるが、実は前田拓也以上に、幽霊とか、おばけなどが
苦手で、怖い映画やドラマを観た後には一人でトイレに行くことも出来なくなってしまい、
私に一緒に行ってくれるように懇願するんですよ、という超スーパー恥ずかしい秘密を
楓君の母親から聞いていた川田は、もう少し、からかってみたくなったのである。
神秘のベールに包まれていた楓君の私生活の一部が、母親の口によって暴かれたわけであるが、
楓君が可愛いので、つい苛めてみたくなってしまう変態の川田であった。
さっきから、大事な試合の前ですよ、とか言いながら必死に話題を変えようと
画策している楓君に、川田の更なる追撃が加わった。
「それで、さっきの坊やには、ちゃんと脚があったのかな、楓君?」とわざわざ
楓君のすぐ近くまで行って川田が話し掛けた。
軽業師のようなボール・リフティングを披露していた楓君が、突然バランスを
崩してボールを足の変な場所に当ててしまい、ボールがピツチの中に転がってしまった。
普段の楓君から推測すると、とても起こり得ないようなミスで有り、明らかに
心理的に動揺していることがバレバレで、川田は思わず吹き出しそうになってしまった。
「き、急に・・・と、突然に現れたものですから、脚までははっきりとは確認
してませんけど、多分あったと思います。」
そう言ってから、楓君は走ってピッチの中に転がったボールを取りに行った。
その後ろ姿は、ボールを取りに行くために走ったというよりも、急いで川田の
傍から逃走したように見えたので、川田はまた吹き出しそうになってしまった。
いまの言葉は相当、効き目があったようだな、楓君がボール・リフティングを
ミスするのを見たのは、今回が初めてのような気がするし、と川田が呟いて、
してやったりとという顏でニヤリと笑った。
しかし、前田拓也の方はどうだか解らないが、楓君は試合開始のホイッスルが鳴れば、
余計なことは総て忘れて百パーセント試合に集中するだろうから、何の問題もないだろう、
さっきの坊やのことは非常に気になるが、もう楓君で遊ぶのは止めて、試合に
集中しなければならないな、と川田は考えた。
232  名無しさん   2014/09/06(Sat) 01:12:16:69
楓君のあそこが恐怖で縮んだ状態では、これからのゲームに勝利することが不可能になってしまうからだ。
おそらく、楓君は神に祝福された特別な子供なのだろう。 そんな気がした。
だからこそ、わざわざ天から使いを寄越してまで楓君に忠告したに違いない。
だが、残念なことに今の楓君にはサッカーのことしか頭になく、その上に極端な怖がりのために、
折角の坊や(神の使い)の忠告をほとんど聞いていないというか、一刻も早く忘れてしまって
試合に集中したい、と考えているように見えた。
川田が意地悪をして、からかったりしたものだから、恐怖であそこが縮こまってしまい、
余計にそう思ったのかも知れない。
川田の言葉は予想以上の効果を発揮したようで、その後、試合が始まるまでの間、
楓君はけっして川田の傍に近付こうとはしなかった。
どうやら、楓君の母親の暴露話は思いっきり真実であったようだ。
試合開始十分前、主審による手の爪のチェックが行われていて、選手達の表情は
これまでの試合とは比較にならないぐらい硬いように思えた。
ポーカーフェイスの楓君は、外見上はいつもと変わらないように見受けられるが、
内心はどうだか解らない。
川田は何か気の利いた冗談でも言って笑わせてやろうと考えたが、何一つ
頭の中に浮かんでは来なかった。
もう椅子から転げ落ちる程度ではだめで、ベスト4進出が決まった夜に自宅で
やったように、全裸になってサンバを踊り狂い、スーパーミドル級をブンブン
振り回すぐらいのことをやる必要があるのだろうが、この場でそんなことを
実行に移せば、パトカーが出勤して公費の無駄遣いになってしまうし、第一、
今の川田は素面であり、流石にそんな気分にはなれなかったのである。
233  名無しさん   2014/09/07(Sun) 22:37:50:34
内のチームにはムードメーカー的な選手も欠損していることに、川田は今更
ながら気が付いた。 楓君はムードメーカーというタイプではないし、
広瀬 翼は土竜だし、前田拓也も笑えない場面でシュートを外したりはするが、
チームのムードを雲間から射す太陽光のように明るくするといったタイプの選手ではない。
絶対的なストライカーもいない、ムードメーカー的な選手もいない、という
あちらこちらの部品が欠損した車のようなチームで、良く県予選のベスト4まで
勝ち進めたものだ、と川田は思った。
このチームの一番のムードメーカーは、おそらく川田監督本人だろうが、
観客も増えて来たことだし、余りアホなパフォーマンスをして目立つのも嫌だった。
相手チームの選手達の表情も硬いので、条件的には五分だろう。
川田は楓君に、ゲームの最初の入り方に注意しろ、とだけ伝えた。
強風に靡かれて宇宙の彼方まで引っ張られて行く凧の糸のように張り詰めた
空気間の中で準決勝がスタートした。
相手チームもワントップだが、守備を固めて慎重にゲームに入って来た。
こちらの隙を突いた奇襲攻撃を警戒していた川田だったが、どうやら、それは
杞憂に過ぎなかったようだ。
楓君は試合開始直後はボランチのポジションにいたが、相手がそれほど攻めて
来ないと見て取ると、すぐさま右サイドハーフにポジションをチェンジした。
楓君というプレーヤーは、体の反射神経だけではなく、こういった頭の反射神経が
並外れて鋭敏で、判断力、決断力、そして行動力の総てが、まるで天才的な
掏摸師か速打ちのガンマンのように俊敏なのだ。
所謂、シンキング・スピードと呼ばれる、サッカープレーヤーに取っては、
かなり重要な資質の一つである。
この慎重過ぎるとも取れるゲームの入り方は、相手チームの内のチームへの
(楓君への)リスペクトが充分に感じられた。
相手チームも、こちらと同じく、最初の数分間が危険だと察知したのだろう。
西の空に姿を現し始めた分厚く真っ黒な雷雲のように、静かではあるが極めて不気味な
スタートにはなったが、バチバチという音が川田のいるベンチまで聴こえて来る
ような、熾烈な火花は既にピッチの随所で、幾筋にも分離した稲妻のように目映く散っていた。


234  名無しさん   2014/09/07(Sun) 23:13:00:01
空気間×
空気感○

速打ち×
早撃ち○
235  名無しさん   2014/09/08(Mon) 13:08:43:98
楓君の動向には常に数人のプレーヤーが目を光らせていて、尋常ならざる警戒心が
窺い知れる。 もし楓君がボールを所持してドリブルでバイタルエリア内に
侵入して来た場合には、ファウル覚悟で遠慮なく脚を削ってやるぞ、とでも
言うような不穏な空気がピッチ上に漂っていた。
楓君のことだから、そういった空気はとっくに感じ取っていることだろう。
次第に相手チームは、内のチームの左サイドを重点的に攻め始めた。
実は内のチームは左サイドに弱点を抱えているのだが、これまでは幸いにして、
その弱点を徹底的に突いてくるチームはなかった。
楓君は右サイドか中央にポジションを取っていることが、ほとんどだし、
左サイドハーフの中山信吾、左サイドバックの昌武祥司は、二人供フィジカルが
強くない上に、テクニック的にも、お世辞にも上手いとは言えないレベルだからだ。
もちろん、どうしょうもなくへたくそで、フィジカルがボロボロに弱いという
意味ではない。 県予選の準決勝を戦うにしては、フィジカル、テクニック供に
物足りないということだ。 
ボランチの広瀬 翼が左サイドをカバーすることが多くなったが、そうすると
素早いサイドチェンジで、右サイドから攻撃を仕掛けられてしまう。
要するに左右から揺さ振られて攻められてしまうわけだ。
左サイドは簡単に突破されてしまう。 広瀬 翼とセンターバックの大西竜雅が
左サイドをカバーすると、今度はサイドチェンジで右サイドから攻撃されてしまう。
その繰り返しになってきた。 このことから推測しても、相手チームが内のチームを
徹底的に研究、分析し尽くしていることが窺い知れた。
これは、早急に何か手を打たないと危険だ、と川田は考えた。
別に川田でなくても素人が見ても、そう感じるだろう。
だが一体、何をどう改善すればいいのだろうか? 川田は考えあぐねていた。
楓君も珍しく迷っているようだ。 もしかしたら、まだ、あそこが縮こまっている
のだろうか、と川田がまた不謹慎なことを想像していると、川田の耳元に
さっきの坊やの声が聞こえてきた。
236  エースキラー   2014/09/09(Tue) 13:05:47:57
「ここは楓君をボランチの位置に下げて、広瀬 翼とのダブル・ボランチに
するべきです。 そして、楓君を左サイドに配置してください。 事は急を
要します。 今すぐに決断しないと失点を喫してしまうからです。 とにかく
急いでください。」
驚いた川田が後を振り向いたが、そこには誰の姿も見当たらなかった。
只そこに、灼熱の太陽の光で沸騰しそうな空気と、坊やの声だけが明瞭に
響いて来ただけだった。
「早く決断して指示を出してください、監督さん。 迷っている暇は有りません。」
再び坊やの可愛い声が、はっきりと聞こえて来た。
川田はバネにでも弾かれたかのようにベンチから立ち上がって、テクニカル・エリア
まで出て行き、大声で楓君にボランチの位置まで下がって、広瀬 翼とダブル・ボランチ
を組み、楓君を左サイドに配置するように指示を出した。
何だか初めて監督らしい仕事をしたような気分になって、満足してベンチに戻ると
「それで、いいんです。 これで相手に左サイドを突破されることは有りません。」
という坊やの声が聞こえてきた。 相変らず、その姿はどこにも見えなかった。
「お前は一体、何者なんだ?」と川田は坊やに質問してみたが、沈黙だけが返って来た。
「お前って誰のことでしょうか?」とベンチで川田の隣に座っているスーパーサブの
松井弘志が不思議そうな表情で聞いてきた。
どうやら、今回は姿が見えないだけではなく、坊やの声が聞こえているのは、
川田だけのようだった。
それは兎も角として、ダブル・ボランチにして、左に七瀬 楓、右に広瀬 翼
という、チーム一、二のテクニックと頭脳を持つ二人のプレーヤーを配置した途端に、
左サイドを突破されることもなくなり、守備も格段に安定した。
実に大したものである。 坊やのアドバイスも、七瀬 楓と広瀬 翼の二人も。
相手チームも攻め手が見付からなくなってしまったようだ。
どうして、こんな素晴らしい作戦を思い付かなかったんだ、そして、あの坊やは一体、
何者なんだ、と川田は考えた。
そして、素晴らしい作戦を思い付かなかったのは、俺の出来が悪いせいで、
あの坊やは、おそらく神か、神の使いに違いない、という結論に辿り着いた。
非常に適切な結論である。
237  エースキラー   2014/09/10(Wed) 00:13:56:81
何れにせよ、もう少し川田の指示が遅れていたら、本当に失点を喫していた
可能性が高い。 ダブル・ボランチにすることは、おそらく楓君も考えていたと
思われるが、天才司令塔の楓君よりも早く作戦を決断し、川田にそれを伝えて
くれたのだから、神か神の使い以外には考えられないだろう。
神業という言葉があるが、今の決断、指示こそが、まさに神業である。
なぜに、そんなことが可能になるのかと聞かれたらならば、それはあの坊やが神か神の使いだから、
と答えるしかないのだ。
あとは、どのようにしてゴールを決めるか、ということだが、取り敢えず
先取点を奪われることだけは、絶対に避けなければならないのだ。
左サイドを突破されることはなくなり、守備が安定して、相手チームに好きな
ように攻められることはなくなったが、楓君がボランチに下がってしまったことで、
ゴールの匂いも氷が溶けてしまったオン・ザ・ロックのように、希薄になってしまった。
ボール・ポゼッションは互角といったところだ。 これだけの強豪チームを向こうに回して、
互角に近い戦いを繰り広げている、ということだけで、川田には非常に感慨深いものがあった。
しかし、勝負事は勝たなければ意味がない。
あの坊やは後半戦にも現れて、川田に攻撃のヒントを伝授してくれるのだろうか?
坊やは楓君に直接メッセージを送っても良かったはずだが(その方が早かっただろうし)
どうして俺の耳元で作戦を伝えたのだろうか、と川田は不思議に思った。
その理由は二つ考えられる。 監督である川田に華を持たせてくれた、というのが一つで、
怖がりの楓君の耳元で、そんなことを言ったりしたら、ますます楓君のあそこが
縮こまってしまい、作戦が上手く行かなってしまうと配慮した、というのが
二つ目の理由だ。 或いはその両方かも知れない。 どちらにしても、かなり気の利いた
坊やであり、やはり、あの子は人間ではなく神自身か神の使者なのだ、と川田は結論付けた。
そう考えるのが自然だろう。 サッカーの戦術を監督に伝授したり、そこまで気の利いた
ことをする五歳の坊やが人間だと考える方が余程、不自然なことである。
何せ、坊やの姿がどこにも見えないで、声だけが明瞭に聞こえて来たのだから。
238  エースキラー   2014/09/11(Thu) 00:06:13:01
ボール・ポゼッションは互角だが、シュート数は相手チームが5、こちらが3、
CKは相手チームが6、こちらが3と多少、押され気味ではある。
だが、この差が付けられたのは、楓君がボランチのポジションに入る前の時間帯であり、
その後はほとんど互角に推移していると言ってもいいだろう。
良く健闘していると思う。 いくら押され気味であろうと、ゴールさえ割られなければ、
それでOKなのだ、と川田は考えていた。 得点を奪われなければ負けることはないのだから。
こちらのシュート数が少ないのは、楓君が引き気味のポジションを取っているため、
フィニッシュに絡む回数が激減したからだ。
後半はリスク覚悟で楓君を前線に上げるか、それとも、このまま引き分け狙いで行くか
の判断は非常に難しいところだ。 楓君のことだから、前半と同じようにボランチの
ポジションにいても、後半はチャンスと見れば自分の判断で前線に上がり、
シュートに絡むプレーを選択するだろうが。
川田がそのようなことを考えている内に、ホイッスルが鳴り前半戦が終了した。
前半を終えて0対0、悪くない結果である。 しかし、試合の最中の神の使者の
教えがなければ、、どうなっていたか解らない。
あのような危機的状況の中で、楓君を素早くボランチの位置に下げて、広瀬 翼との
ダブル・ボランチを組ませるというような、絶妙なアイデアが瞬時に閃くような
監督にならなければいけない、俺は余りにも迷妄が多過ぎる、と川田は反省していた。
川田が反省するなどということは、非常に稀有な出来事である。
どれぐらい稀有な出来事かと言うと、犬が二本足で立って三十メートル歩くほどに
珍しいことなのである。
楓君はベンチに戻って来てすぐに、あの場面でぼくをボランチの位置に下げて、
翼君とダブル・ボランチを組ませたのは、素晴らしい英断、見事な采配だと思います。
ぼくも考えてはいましたが、決断がするのが遅れてしまい、危ないところでした、
と川田を尊敬の眼差しで見詰めながら、そう言ったのである。
239  エースキラー   2014/09/11(Thu) 13:24:10:68
川田は、実は試合中にあの坊やが俺の耳元でアドバイスしてくれたんだよ、
と言い掛けたが、ハーフタイムに楓君を怖がらせている場合ではないし、
折角、楓君が自分のことを尊敬の眼差しで見詰め、見事な采配だと褒めてくれているので、
有難く自分の手柄にすることにしたのだ。
「後半はどうしたい? というか、どのようにすべきだと思う? このまま
ボランチのポジションにいて、引き分け狙いで行くか、それとも、失点のリスクを
覚悟で攻撃的なポジションに移るか、という非常に難しい決断なんだが。」
川田が楓君に質問、と言うより、お伺いを立てた。 正直どうすればいいのか
解らなかったからだ。
「どちらとも言えませんので、川田名監督さんの判断にお任せします。
ぼくは引き分け狙いというのが嫌いですので、ボランチのポジションにいても、
チャンスがあれば得点を奪いに行きます。 それに、今の内のチームは引き分け狙いに
行って、狙い通りに引き分けに持ち込めるほどの実力は有りません。
守ることだけを考えていたら逆にゴールを奪われると思います。
だから、どういうフォーメーションであろうと、攻撃することを止めるべきではない、
と考えます。 もちろん、ゴールに近いポジションにいた方が、得点の確率が
高くなるのは当然のことですが。
でも、一点取ったとしても、相手に二点奪われれば、試合には負けてしまいます。
負ければ終わりのトーナメント戦ですから、出来る限り相手に得点を許さない
ということが、肝要になると思います。
川田名監督さんの判断にお任せしますが、ぼくの考えとしましては、今のままの
ダブル・ボランチで行き、チャンスと見れば一気に攻め上がって、得点を狙いに行く、
という戦術が最もリスクが少なくて、この試合に勝てる確率が高い、トーナメント
戦に即した賢明な戦い方だと考えます。 引き分け狙いの戦い方は嫌いですし、
やるべきではないと考えますが、得点を狙いに行って、その結果が引き分けならば
仕方がないと思います。 何れにせよ、リスクは出来るだけ避けるべきです。
相手チームのFWは強力ですので、ぼくが前線に上がれば少なくとも二点は取られるでしょう。
そうなると、こちらは三点取らないと勝てないことになってしまいます。
240  エースキラー   2014/09/12(Fri) 01:37:42:07
DFも強固ですので、この相手から三点取ることは非常に困難だと思われます。」
百点満点の回答である、と川田は思った。 完璧であり、どこにも異論を差し挟む余地はない。
「わかった、後半戦もこのままの布陣で戦おう。」と川田が宣言した。
何しろ神の使者である、あの坊やが、わざわざ川田の耳元に伝えてくれた
フォーメーションなのである。 それに、あの坊やは楓君を前線に上げて、
リスクを冒してまで得点を狙いに行くべきです、などというアドバイスは送って
来てはいないのだから。
それとは別に、楓君に二回も名監督さんなどと言われた川田は、このまま全裸になって
ピッチの周辺を阿波踊りでも踊りながら、一周したいような気分だったが、
残り少ない理性で必死に抑え込んだ。
神の使いも、このゲームを観戦しているのだ。 流石にそこまでアホなことは出来ない。
後半戦がスタートした。 決勝戦のことも考慮して、メンバーを三人交代させた。
この暑さなので、出来るだけ休ませながらフレッシュな選手を起用する必要がある。
七瀬 楓と広瀬 翼と前田拓也の三人以外は、メンバー交代をしても戦力的に
それほど変化がない、というところが、内のチームの強みであり、同時に弱みでもあるのだ。
良く言えば選手層が厚いと言うことになるが、悪く表現すれば団栗の背比べである、とも言えるだろう。
これでも一応、三つの小学校からの選抜チームなので、似たようなレベルの選手は
たくさんいるのだ。 ベンチに入れなかった選手にしても、それほど極端に
レベルが低いわけではない。 ほんの僅かの差でしかないのだ。
例えばほんの少し足が遅いとか、ほんの少しテクニックが落ちるだとか、
ほんの少しだけ判断力が劣るとか、その程度の差でベンチに入れるか外れるか、
レギュラーポジションを獲得出来るか、サブのメンバーに甘んじるかが決定
付けられてしまうのである。
七瀬 楓、広瀬 翼、前田拓也の三人は、少しばかり他のメンバーとはレベルが
異なり、特に七瀬 楓は異次元のプレーヤーなので、どんなに暑くても、体力的に
きつくても、メンバーから外すわけにはいかない。

241  エースキラー   2014/09/12(Fri) 14:25:39:03
頑張って貰うしかないのだが、流石にこの暑さに加えて県内では強豪中の強豪
チームとの対戦になるので、一瞬も気を抜くことは許されず、もちろん、適当に
手を抜くことなど出来ないので、精神的にも、体力的にも、相当なハードワーク
を要求されることになるだろう。
その点、広瀬 翼も、前田拓也も、精神的にも、体力的にも、相当タフであり、
七瀬 楓も強豪チームのエース・プレーヤーであったのだから、何の問題もないと思われる。
前田拓也は、そのプレースタイルに少しばかり粗笨な部分は見られるが、
素材的には内のチームの中では楓君は別格として、広瀬 翼と比肩しうるものを
持っている。 広瀬 翼は性格的に少し恬淡なところがあって、もう少し貪欲に
プレーして欲しいとは思うが、大きな破綻のない優れた選手であることは確かだ。
楓君は外見的には、お世辞にもタフそうには見えないが、ペース配分が抜群に
上手いし、無駄な動きもしない。
前半戦でも、ボランチの位置から単独でドリブル突破して、前線まで駆け上がる
ようなことは、一度もしていない。
そんな無謀なことにトライしても、あっという間に三人ぐらいのディフェンダー
にいにゅう(変換せず)されて、脚を削られるファウルを受けることが、目に見えているからだ。
楓君は鰐が大口を開けて待ち構えているところに、自ら飛び込んで行くほど
愚かなプレーヤーではない、ということだ。
それに例えファウルを受けてボールを奪われたとしても、主審の死角であった場合は、
ファウルも取って貰えず、そのままプレー続行となりカウンター攻撃を喰らって
失点に繋がり兼ねないからだ。
ハーフタイムにおける、川田に対する発言からも推察されるように、楓君は
トーナメント戦の戦い方を知り尽くしていて、余計なリスクを冒すことは、
けっしてないだろう。 本当のチャンスが訪れるまでは、ボランチのポジションを
放棄してまで、単独で前線に上がるようなことはしないだろう、という意味だ。
242  エースキラー   2014/09/12(Fri) 23:49:01:85
相手チームは前半よりも攻撃的になって来た。 総合力では、自分達のチームの
方が上回っていることは、熟知しているだろうから、引き分けになってPK戦
という結果だけは、何としても避けたいと思われるので、攻撃的な戦術を選び得点を
狙いに来るというのは、当然の策だろう。
しかし、相手チームが攻撃的になればなるほど、こちらにも得点のチャンスが
生まれ易い、ということを楓君は当然、解っているはずで、ほんの少しでも
相手の綻びを発見すれば、一気にそこをピンポイントで突き刺すだろう。
急所を狙って一瞬で獲物を殺戮する肉食獣のように。
神の使いの坊やからのアドバイスは、今のところ何もない。
ということは、余計なことは何もせずに今のままで行け、ということなのだろう、
と川田は勝手に解釈した。 確かに楓君をボランチの位置に下げてから、
守備は非常に安定している。 もう一人のボランチである広瀬 翼も、
センターバックと二人とサイドバックの二人も、それぞれに自分の仕事を
忠実にこなしている。 何度も書くように川田は名将という器ではないが、
けっして明珠暗投でもない。 優れたプレーヤーを見つけ出す能力は持ち合わせている。
スカウト連中がどう見ているかは不明だが、相手チームにも楓君ほどではないにしても、
MFに二人、FWに一人、全国レベルの選手がいる。
F番とH番とI番だ。 当然マークを付けてはいるが、危険な場面を何度か作られている。
あの三人の中の一人でも内のチームにいてくれたら、と川田は夢想する(夢精ではない)。
もう少し楽に試合を運べるのだが・・・と。
だが、それは叶わぬ夢であり、その三人のプレーヤー達はこちらのゴールを
抉じ開けようとして、全力で襲い掛かって来る。
決勝の相手(おそらく高崎のチームを葬り去ったチームが勝ち上がって来るだろう)には、
もっと多くの全国レベルの選手が存在することが予想される。



243  エースキラー   2014/09/14(Sun) 12:12:14:01
もしかしたら、チーム全員が全国レベルのプレーヤーかも知れない。
想像するだけでも恐ろしいことだ。 出来ることなら、そういうチームとは対戦したくはない。
正直言って逃げ出したいような気分だった。
でも、そういうわけにはいかないのだ。 結果はどうあれ戦わなければならない。
高崎からの選手のレンタルを断り、今の戦力で戦うことを決めたのは俺なんだから、
と川田は思った。 いや、まだ今は決勝戦のことなど心配している場合ではない。
まずは目の前の試合に勝利しなければならないのだ。
相手チームには、内のチームのような弱点らしきところは発見出来なかった。
左サイドが弱いとか、右サイドに穴があるとか、そういったことだ。
もちろん、中央が弱いということもない。 中央が弱ければどうしょうもないのだ。
ドアに鍵を掛けないで、一週間ほど海外旅行へ出発するようなもので、
安心してベンチに鎮座し、淫猥な妄想に浸ることさえ出来なくなってしまうだろう。
それは川田に取っては死活問題なのである。
これは弱点と言えるかどうかは解らないが、高さはそれほどない。
だが、内のチームも、それほど高さに恵まれている方ではないので、大した
アドバンテージにはならないことは確かである。
只、キーパーの身長も、それほど高くはないということもあって、シャペウや
ループシュートを十八番とする楓君は、チャンスがあれば、その辺りを確実に
狙って来るのではないか、と川田は考えていた。
少年サッカーで三メートルの高さまでジャンプ出来る選手は、おそらく存在
しないだろう。 もし存在したとしたなら、シャペウやループシュートの高さを、
三メートルから五メートルに変更すればいいだけの話だ。
そして、これは良く言われることだが、ボールより速く走れる選手は、少年
サッカーだけではなく、大人のトップクラスのプロ選手の中にも存在しない。
もちろん、この場合のボールとは、スピードのあるパスや、クロスボールや、
シュートのことを示唆している。

244  エースキラー   2014/09/15(Mon) 11:53:06:56
だから、センチメートル単位の正確無比なパスを通し、速くて正確なクロスボールを
上げることが得意で、弾丸のように速くて強力なシュートを枠内に、きっちりと
蹴ることが出来て、誰がジャンプしても届かない空中を、シャペウのテクニックを
用いて抜き去り、キーパーも届かないループシュートを精密機械のような精度で、
決めることが出来るプレーヤーの方が、只、単に速く走れるだけの選手よりも、
優れていると言えるだろう。
前田拓也のように粗笨ではあるが、時々、思い出したかのようにスーパープレーを
する選手と、広瀬 翼のように地味だが安定感抜群な選手を、上手く組み合わせて
使い、そこに七瀬 楓という異次元の天才プレーヤーを融合させることによって、
準決勝まで勝ち進んで来たわけだが、それにプラスして神に祝福された子供である
楓君に味方する坊やまで現れ、この物語はいよいよ佳境に入ろうとしているのである。
ストーリーテラーとしての、この物語の語り部であるところの作者と致しましても、
この坊やの登場は相当な驚きで有りました。
自分で書いておいて何が驚きなんじゃ、おんどれはアホか、一発しばいたろか、
などと上品にお怒りになったりしないで、どうか冷静で安らかな気持で読んでくださる
よう、お願いします。 怒ると癌に罹り易くなるという最新の医学の研究結果も出ておりますので。
と言いますのも実は坊やの方から、早いとこ、ぼくを小説に登場させろやボケナス、
一体いつになったら、ぼくを出すじゃアホめが、ほんまにとろい作者やの、
というまるで性質の悪い借金取りのごとき矢のような催促があったので、
仕方なく登場させた次第であります。
その他にも、川田監督は作者に何の断りもなく、ピッチにダイブしてみたり、
突然、全裸になって踊り狂ったり、試合中にベンチで猥褻なことを想像したりするし、
楓君は楓君で突然、小学生とは思えないような語り口でもって、難解な話を始めたり、
人前で派手ブリーフ姿になって変態さん達を誘惑してみたり、無意識にか、
意識的にやっているのかは不明だが、川田を誘うような発言、行動等が随所に
垣間見られ、作者としても非常に困惑しているのである。

245  エースキラー   2014/09/15(Mon) 11:57:38:24
派手ブリーフ×
派手なブリーフ○

結構、派手好きな楓君(*^_^*)
246  エースキラー   2014/09/15(Mon) 12:01:10:93
もう一か所^^;

ぼくを出すじゃ×
ぼくを出すんじゃ○

それにしても上品な小説ですね(#^.^#)
247  エースキラー   2014/09/15(Mon) 20:31:01:22
作中の人物が作者の意思とは無関係に遊弋したり、ストーリーから逸脱した山に
作者に断わりもなく勝手に登攀したり、好き放題に道路を逍遥してみたり、
予期せぬことを突然語り出して作者を震がいさせるようなことは、割と頻繁に起こり得ることなのである。
嘘だとお思いになる方は、何か月か、何年か掛けて、真剣に小説を書いて御覧になれば、
おそらく理解出来ることでしょう。
中には理解出来ない方も、おられるかも知れませんが、そんなことは作者の
知ったことでは有りません。
後半戦、相手チームの攻撃は迫力を増して来ているが、こちらもこちらで、
ギリギリのところで何とか持ち堪えていて得点は許さない、という時間帯が
ずっと続いていて、こちらから攻撃を仕掛けて相手ゴールを脅かすというところまでは、
なかなか持って行けないでいた。
時計の針だけが虚しく時を刻んで行く。 当然のことだが焦る。
だが、攻め手はそう簡単には見つからない。 もしも、あの場面で坊やのアドバイスが
なかったとしたら、先取点を奪われてから楓君をボランチの位置に戻して、
広瀬 翼とのダブル・ボランチを組ませることになり、一点取られて負けているわけであるから、
無理を承知で攻撃に打って出て、その結果カウンター攻撃を喰らってしまい、
更に二点目、三点目のゴールを決められて、万事休すの状態になっていた可能性が高いのだ。
だからこそ、監督の迅速な決断というものが、非常に重要な意味を持って来るのである。
そんな素晴らしい決断力と洞察力というものは、残念ながら川田には備わってはいない。
だから、あの時に、神の使いである坊やのアドバイスがなければ、勝敗は既に
決していただろう。 だが、あの坊やは攻撃の方法、得点の奪い方については
何一つアドバイスをしてくれない。
神の使いを持ってしても、無理なことは無理なのだろうか?
残り試合時間は五分しか残されていない。 こちらとしては、引き分けに持ち込みPK戦で決着を
付ける、という選択肢も、それほど悪くはないだろう。
PK戦は運に左右される部分が多いし、こちらには神の使いである坊やが味方に付いているので、
もしかしたら、次はキーパーは右へ飛びます、だとか、左に動きます、といったアドバイスを
してくれるか知れないからだ。
もし坊やのアドバイスが無かったとしても、PK戦に持ち込めれば充分に勝機はある。



248  エースキラー   2014/09/16(Tue) 13:04:29:80
川田がこの試合は良くて引き分けでPK戦、残り五分間、何とかディフェンスに
頑張って貰わないとな、などと弱気なことを考え始めたところへ、またしても、
あの坊やの声が耳元に響いて来た。
「まもなく、楓君が決勝点を決めます。 ぼくは特に仕事が有りませんので、
しばらく消滅します。 また、お会い出来るといいのですが。」
それだけ言い終えると、坊やの声は完全に消えてしまった。
消滅しますって、最初に楓君の目の前に姿を現した後は、ずっと消滅したまんま
じゃないかよ、と川田は思った。
今度は音声によるメッセージも、しばらく送りません、という意味のようだが。
その姿を見たのは一度だけだが、まるで天使様のように可愛い坊やだったな、
と川田は坊やの姿を思い出しながら、そう思った。
その声も天使様のように可愛かった。 今度、姿を現したら強引に車の中へ引き摺り込んで、
無理矢理に犯してやろう、と川田は猥雑な汚賤に満ちた企みを計画していた。
川田に取っては相手が人間であろうと、神の使いであろうと何の関係もなかった。
可愛いか、可愛くないかが、総ての判断基準なのである。
残り試合時間は四分、楓君はまだボランチのポジションにいて、ディフェンスに奔走している。
このような状況から、どのようにして決勝点に結び付けるというのだろうか?
しかし、楓君は広瀬 翼と前田拓也の二人と、何やらアイコンタクトを交わして、
意思の疎通を図っているようだ。 攻撃のタイミングを見計らっているのかも知れない。
相手チームはPK戦に縺れ込むのが嫌なので、必死になって攻め込んで来る。
前線に上がって来る人数も増えているので、高い位置でボールを奪うことが出来れば、
確実にチャンスになるだろう。 だが、それはそれほど簡単なことではない。
相手チームのプレーヤー達は全員、基本的な技術がしっかりとしていて、
ボールキープ力もあるので、楓君と言えどもボールを奪い取ることは、
至難の技であるようだった。 もちろん、ボールキープ力だけではなく、パスやトラップなどの
テクニックも全国レベルであり、非常に完成された好チームだ。

249  エースキラー   2014/09/16(Tue) 13:35:38:53
猥雑な汚賤に満ちた企みを建立していた、に変更致しました(#^.^#)
建立(こんりゅう)
250  エースキラー   2014/09/16(Tue) 14:35:32:48
だからこそ、ベスト4まで勝ち残って来られたのだろうが、この完成されたチームを相手に、
楓君のどの部分から風穴を開けようと画策しているのだろうか?
残り試合時間は三分。 楓君の指示なのか、自分の判断なのかは不明だが、
広瀬 翼が徐々に前線にポジションを移動させているようだ。
楓君のポジションに変化はないので、広瀬 翼が楓君よりも数メートルほど
前に出た布陣に変わっている。
広瀬 翼というプレーヤーは、実はインターセプトの名手でもあるのだが、
ジリジリとポジションを上げて、出来るだけ高い位置でのインターセプトを
狙っているのかも知れない。
どんなに完成されたチームであっても、人間のやっていることなので、必ず、
どこかにミスや綻びは発見出来るはずだ。
PK戦に持ち込みたくはない、残り少なくなった時間内で得点を決めたい、
という焦りの気持が強くなると、余計にミスや綻びが出易くなるものだ。
その広瀬 翼の動きに連動するように、楓君がプレスバックを掛けるタイミング
も早くなって来たように思える。
これまで横の関係だった広瀬 翼と縦の関係を構築し、二人で敵のプレーヤーを
挟み込んでボールを奪い取ろうという作戦かも知れない。
残り試合時間は二分。 相手チームは目に見えて焦っていて、七瀬 楓と広瀬 翼と
前田拓也の三人は、確実に何かを企んでいる。 まるで可愛い坊やの肉体を貪ろうとしている川田のように。
坊やの予言通りだと、これから何かが起きるはずだ。
いや、何かではなくて楓君が決勝点を決めます、とあの神の使いである天使様のような坊やが、
そう断言したのだから。
あの天使のような坊やを凌辱するのは、全国大会出場が決まってからでも遅くはないな、
と川田は考えていた。 欲望の赴くままに先に実行に移してしまうと、貴重なアドバイスを
受けられなくなってしまう可能性が高いからだ。
しかし、あの柔らかそうな体に触れることは出来るのだろうか?
もし触れられたとしても、相手は自由に消えたり、現れたりすることが可能な
得体の知れない生命体なのである。 いや、生命体でさえないのかも知れないが。


251  エースキラー   2014/09/16(Tue) 23:13:09:19
美味しい料理は最後に食べるに限る、と川田が呟いた。
ベンチで川田の隣に座っているスーパーサブの松井弘志が、監督さんはお腹が
空いているのですか、と聞いてきた。
聴覚のいい奴だな、こいつは、と思いながら、そうなんだよ、朝早く軽く食べた
だけだからな、と答えると、この試合は、ぼくの出番はないんでしょうか、
と聞くので、この試合はゆっくり休んでおけ、決勝戦でたっぷりと活躍して貰うから、
と答えると、決勝戦には進めるんでしょうか、と聞いて来たので、もうすぐ
楓君が決勝点をゴールに入れて、決勝進出が決まることになっているんだよ、
と教えてやった。 残り試合時間は一分。 スーパーサブの松井弘志が、いつも
川田の隣に座るのは、何とか自分をアピールして試合に出して貰いたいからである。
スーパーサブの選手は試合に出られる時間が少ないし、出場出来ない試合もある。
今日のゲームのようにギリギリのバランスで何とかゴールを死守しているような
状況では、新しい選手を投入するタイミングが非常に難しいのだ。
それに二試合あるので、他の選手を休ませる意味もあって、決勝戦の後半の頭から投入しようと、
川田は考えていたのである。 もしも、あの坊やの予言が無ければ、選手の起用方も変わって
来たことだろう。 スーパーサブの投入もあったかも知れない。
軽くアップを済ませていた松井弘志だったが、坊やの予言のせいで出場機会を失ってしまったことになる。
その後、松井弘志が川田に何か質問をしたが、一気にボルテージ高くなった
観客の歓声に搔き消されてしまい、何を質問したのかは聞き取れなくなってしまった。
楓君が広瀬 翼のすぐ横を通過して、スルスルと前線に上がって行き、
その動きに気を取られた、相手チームのプレーヤーが、ほんの少しトラップミスをした瞬間を
見逃さなかった広瀬 翼が、ボール奪取に成功したのだ。
これも楓君が得意とする囮作戦というか、陽動作戦という奴である。
楓君は只、広瀬 翼を追い越して前線へ走ったというだけで、ボールに触れてさえ
いないのだから。 だが、広瀬 翼がボールを奪取したからと言って、
そう簡単に相手ゴールを割れるわけではない。 楓君には二人もマーカーが付いていて、
パスが通りそうにもないし、残り試合時間も少な過ぎる。
アディッショナルタイムは、どれぐらいあるのだろうか?
252  エースキラー   2014/09/17(Wed) 13:00:28:68
しかし、楓君が広瀬 翼を追い越して前線に走ったというだけで、ピッチの
空気が明らかに変調し、ゴールの匂いが神怪な香霧のように漂い始めたのである。
これは実に大したものだ。 広瀬 翼はゆっくりとドリブルをしながら、
前線に上がって行こうとしている。
センターバックの二人とサイドバックの二人は、自陣に残ってはいるが、
これでボランチの二人を含めた残りのメンバーが全員、敵のエリアに侵入したことになる。
楓君はダイアゴナルランを繰り返して、相手のディフェンス陣を攪乱してはいるが、
まだ一度たりともボールに触れてはいない。
広瀬 翼は前田拓也とのワンツーパスを駆使しながら、巧みに前線に上がって行く。
楓君はけっしてトップスピードではないが、まるで無軌道な遊星のような動きで
走り、マーカー二人を引き連れてピツチを回遊している。
楓君の遊豫によって他のプレーヤー達の仕事が楽になっていることは確かだ。
楓君をマークに付いているのは二人だけだが、その他のプレーヤー達も楓君の
動きを注視しているからだ。
もっとサイドを使って攻撃を仕掛けるように、というサインを楓君が広瀬 翼
に送った。 右サイドバックの小林 舜がビルドアップして広瀬 翼からのパスを
受けて、右サイドラインに沿うように駆け上がって行く。
これで、こちらのディフェンダーは三人だけになったわけで、カウンター攻撃を
喰らうと、まずいことになるかも知れないが、楓君は引き分け狙いの戦い方は嫌いです、
とはっきり宣言していたので、最後の勝負に打って出る心積もりなのだろう。
残り試合時間は三十秒。 アディッショナルタイムは一分と発表されたので、
まだ一分三十秒、残っていることになる。
楓君は地球のすぐ近くを通過する巨大隕石のように、ボールを保持している
小林 舜のすぐ近くまで接近したが、敢えてパスを受け取ることはしなかった。
徹底して自分が囮になることで、相手の守備陣を攪乱する作戦のようだ。
253  エースキラー   2014/09/17(Wed) 22:23:42:26
相手チームは楓君を・・・というよりも楓君だけを恐れていて、その他のプレーヤーは
烏合の衆だと捉えている節があり、楓君の動向に全神経の八十パーセントぐらいを
使っているようで、お陰で他のプレーヤー間のパスは比較的、容易に通るように見える。
自分では、けっしてボールを所持しない、パスさえも受けない、ボールを所持しなければ、
当然、脚を削られるなどのファウルを受けることもない、これは明らかに楓君の策略なのだが、
相手チームは見事に、その罠に嵌りつつあった。
パスは小林 舜から前田拓也に、前田拓也から広瀬 翼へと、面白いように
繋がって行く。 ゲームは遂にアディッショナルタイムへと突入した。
残り試合時間は一分、泣いても笑っても、それ以上の時間はどこにもないのだ。
広瀬 翼は前田拓也にボールを預けてから、一旦、ハーフウェイライン付近まで下がった。
これも楓君からのサインプレーであり、相手を引き寄せるための罠なのだが、
相手チームは、そのことには気が付いていないようだ。
広瀬 翼からのパスを受けた前田拓也は、シュートを狙おうとしたが(実はシュートを
狙う振りをしたのだが)シュートコースを完璧に消されていて、シュートを
放つことが出来ない(実は最初からシュートなど放つ気はなかった)。
楓君のコーチングで、前田拓也はハーフウェイライン付近に戻っている広瀬 翼に、
バックパスを出した。
相手チームも最後のチャンスにゴールを決めようと狙っていたので、広瀬 翼から
ボールを奪取して、得点を決めようとして一斉に攻め上がって来た。
だが、土竜の広瀬 翼は憎たらしいほどに冷静沈着であった。
ゴールに向かってドリブルで進むのではなく、右サイドラインの方向に進み、
ボールを奪取しようとして進撃して来た、相手チームのプレーヤー達を引き付ける
だけ引き付けてから、その逆を突くようなアーリークロスを、外見と同じく地味ではあるが、
職人技を彷彿とさせるような精度の高さで上げて見せたのである。
254  エースキラー   2014/09/18(Thu) 11:00:27:73
試合時間が残り少ないということで、相手チームの選手達も焦っていたのだろうし、
楓君がまったくボールに絡まないということで、少しばかり油断していたという
ことも有るだろう。
しかし、広瀬 翼の見事なアーリークロスに、これまでピッチ上で軽いジョギング
をして、夜陰的な遊戯に耽っていた楓君が、突如としてトップギヤに入れて
韋駄天のような疾駆を開始したのである。
オフサイドラインを慎重に確認しながら、広瀬 翼からのパスをまるで強力な
磁石で金属を吸収するかのようなトラップで受け取ると、この試合で初めて見せる
スピードでゴール向かって得意の高速ドリブルで進撃を始めた。
これは千載一遇のチャンスである、と川田は思った。
何と言ってもボールを持ってゴールに向かってドリブルをしているのが、
楓君なのだから。 楓君の前には相手チームのディフェンダーが二人立ち塞がって
いるが(カウンター攻撃に出たとは言ってもセンターバックの二人だけは、しっかりと
ゴール前に残しているところは流石ではあるが)、楓君ならば何とかしてくれる
だろうという安心感があった。 これが楓君以外のプレーヤーであった場合は、
それほどの期待は出来ないが・・・。
チャンスの神様には後髪がない、という諺があるが、間違って解釈している
方が多いようなので、ここで正しく解説しておこうと思う。
この諺はつまり、人生のチャンスを運んで来てくれる神様というのは、
後頭部がツルツルに剥げていて、とても掴めたものではないので、何とかして
残り少なくなっている前髪を掴んで強く握り締め、絶対に逃がしてはいけませんよ、
という大変に重みのある示唆に富んだ教訓なのである。
その際には、何せ残り少ない前髪であるのだから、強く引っ張り過ぎたりして、
引き抜いてしまったりしないように充分に注意する必要が有るのは言うまでもないことである。
もしも残り少ない前髪を引き抜いたりしてしまった場合、その人物には人生のチャンス
どころか、大変な天罰が下ることになってしまうので、いくら後頭部が剥げて
いるからと言って焦ってはいけませんよ、という裏の意味も含んだ諺なのである。
楓君は緩急を付けたドリブルと、アウトサイドシザースを巧みに駆使して、
二人のディフェンダーを弄ぶように軽く拭き去り、堪らず前に飛び出して来た
キーパーまで躱して、無人のゴールに左足インサイドで確実にボールを流し込んだ。
おそらく、試合終了のホイッスルが吹かれるまで、二十秒も残ってはいなかった
のではないだろうか。
255  エースキラー   2014/09/18(Thu) 13:51:33:98
夜陰・・・手淫とは少し違いますが、そのあとに続く言葉である耽るにかけると、
かなりエロティックになりますね(*^_^*)
まさに夜陰的な文章表現を狙ってみました(#^.^#)
256  エースキラー   2014/09/18(Thu) 20:16:31:00
まさに劇的なゴールであり、劇的な試合の幕切れであった。
ショットオンゴール(枠内シュート数)は、相手チームがこちらの三倍ほど
放っていただろうが、楓君はたったの一発のシュートで試合を終焉させてしまったのだ。
ショットオンゴールだけではなく、ボールポゼッション、CKの本数、枠外も含めた総シュート数、
その総てにおいて相手チームが上回っていたのだが、試合に勝利して決勝進出を決めたのは、
内のチームなのである。 もちろん楓君の功績は大きいが、チーム全員で勝ち取った勝利である。
相手チームが余りにも楓君一人に神経を使い過ぎて、広瀬 翼を始めとする、
その他の選手を甘く見たというのも敗因の一つだろう。
しかし、もし楓君を厳しくマークしないで自由にプレーさせたとしたなら、
結果はもっと悲惨なことになったことだろう。 相手チームがセンターサークルにボールをセットして、
パスを二、三回繋いだ時に、無情にも試合終了のホイッスルが鳴り響いた。
これで遂に夢にまで見た決勝進出が決定したわけだ。
川田は、こんなギリギリの時間にゴールを決めないで、もっと早く決めてくれよ、
心臓に悪いな、まったく、と贅沢なことを呟きながら、ベンチに戻って来た選手達と
ハグを交わした。 もちろん、神の使いである坊やの予言通りに決勝点を決めた
楓君とも。 神の使いの坊やの予言も素晴らしいが、あの時間にきっちり仕事を
して見せる楓君も、人間離れしているというか、神掛かっていると言うべきか、
とにかく、とんでもないプレーヤーである。
ここは、いくらハグしても誰も文句は言わないだろう。
このチャンスに、いつもより長い時間のハグを楓君と、と企んでいた川田であったが、
暑いので、いい加減、離してください監督さん、と楓君に言われてしい、渋々ハグを
終了させた気の毒な川田であった。


257  エースキラー   2014/09/19(Fri) 00:24:02:82
この暑さであるから、試合を終えた選手達は皆ダークラム酒を蒸したような、
濃厚なミルクに塩化ナトリウムを混成したような香り発散させている。
いくら楓君でもワインの香りはしないのが現実だ。
決勝戦が始まるまで、あと三時間あるが、その間に昼食を取ってミーティング
もしなければならないので、それほど、のんびりもしていられない。
同じ時刻に行われている、もう一試合の準決勝は、予想通り高崎のチームを
破ったJリーグの下部組織チームが勝利したようだ。
こちらの方は3対0と楽勝だったようで、間違いなく強いチームだろう。
だが、ここまで来れば何も怖いものはない。
相手がどんなチームであろうと、チームの総力を挙げて戦い、勝利を目指すだけだ。
決勝の相手チームの名前を聞いた時、楓君の目の色が変わったように感じられたが、
特に何も発言しなかった。 楓君のことだから、言葉なんて必要ない、試合で結果を出すだけだ、
とでも考えているのだろう。
選手達は暑さで疲弊しているが、それは相手チームも同じなので、何の言い訳にもならない。
相手チームは選手層が厚いが、こちらも選手層は厚いのだ。
只、選手のレベルが違うだけのことである。
主力の三人は別にして、出来るだけ選手交代を迅速に行い、フレッシュなメンバーを起用する
必要があるな、と川田は早くも決勝戦の選手交代のことに思いを馳せていた。

第10章・・・完


258  エースキラー   2014/09/19(Fri) 00:45:41:01
香り発散×
香りを発散○
259  エースキラー   2014/09/24(Wed) 12:51:17:99
第十一章

決勝直前のミーティングでは、戦術面や選手交代のタイミングなどについて、
詳細に打ち合わせた。
実際の試合が始まってしまうと、大抵、予想外のことが起こるので、その都度、
微調整が必要になることは言うまでもないことだが。
相手チームの方が実力が上なのは解り切っていることなので、準決勝と同じく
七瀬 楓と広瀬 翼でダブル・ボランチを組ませ、徹底的に守りを固めて
最少失点に抑え、少ないチャンスをものにして、何とか得点に結びつけようと
いうことで、川田と楓君、そして、その他のレギュラーメンバーや、リザーブの
メンバーも含めた全員の意見が一致した。
実力が確実に上のチームに対して勝利を収める、或いは引き分けに持ち込み
PK戦に持ち込むには、それ以外に方法はないのだ。
ボランチとはポルトガル語で{舵取り}の意味だ。 アンカー{船の錨}と
ほぼ同じような意味だが、アンカーの方がボランチよりも、守備の安定に重きを
置いたポジションになる。
決勝の相手は準決勝で戦った相手よりも、確実に強い。
だが、勝機は必ずある、と川田は考えていた。 どんなに実力差があったとしても、
徹底的に守りを固めて来る相手から得点を奪うのは、それほど簡単なことでは
ないからだ。 そして、こちらにはワンチャンスを確実にものにすることが
出来る楓君がいるのだ。 楓君の存在を意識することで、相手チームも攻撃だけに
百パーセント集中することが出来なくなるだろう。
勝機は必ず訪れる、だが、相当、厳しい戦いになることは確かである、というのが
川田を含めたチーム全員の一致した見解であった。
そして、これまでの対戦相手と大きく異なる点は、楓君に対して、これまでの
チームはマンツーマンでマークをして来たが、今回の相手は、おそらくゾーン
プレスを掛けて来るだろう、という点だ。
どちらにせよ、楓君のマークがきつくなることに変わりはないわけで、
他のレギュラーメンバー、そしてスーパーサブ、リザーブの選手達も含めた
チーム全員の力を総動員して戦う必要が生じるだろう。
260  エースキラー   2014/09/26(Fri) 13:24:18:65
やるだけのことをやって負けたなら、それは仕方のないことだ、相手の方が
強かったということになるのだから、川田だけではなくチーム全員が、ここまで
来たら後は全力を尽くして戦うのみだ、という開き直りにも似た一体感に包まれていた。
大体、内のチームが決勝戦にまで勝ち進んでいる、ということ自体が奇跡的なこと
なのだから。 楓君がチームにいなければ、当の昔に負けていただろうし、
神の使いの坊やのアドバイスが無ければ、おそらく準決勝で敗北していただろう。
勝ち進んで来たというよりも、勝たせて貰っているのだ、と川田は考えていた。
トーナメント戦の組み合わせに恵まれたこと、楓君や前田拓也の神掛かったプレー、
そして本物の神の使いである坊やのアドバイスなどの、お陰で。
もしかしたら、もう運を使い果たしてしまったのかも知れない。
スターティング・メンバーは既に発表済みである。 増々、気温が上がっているようなので、
セカンドハーフからは、スーパーサブの松井弘志はもちろんのこと、メンバー交代を
大幅に行い、出来るだけフレッシュなメンバーで戦いたい、と川田は考えていた。
攻撃面に関しては楓君に任せてあるが、どう考えてみても川田には、この相手から
得点を奪えそうな気がしなかった。 何か奇跡でも起こらない限りは。
だが、これまでの試合でも、相手チームのほんの僅かな綻びを突いて、
決勝点を決めて来た楓君で有るから、もしかしたら何とかしてくれるかも知れない、
という淡い期待を抱いてはいたが・・・。
何と言っても、この試合を前にして楓君の目は虹彩放射を放ち、栄耀に満ち、
截然とした決意に溢れているように見受けられたからだ。
どんな手段を用いてでも、高崎のチームに勝利した相手を葬り去ってやる、
とでも言うような気魄を感じさせた。
もちろん、楓君は口に出しては何も言わない。 発言の内容は戦術面に関する
ことだけであった。 しかし、楓君の気魄は澄明な青空から降り注ぐ強烈な
太陽光線のように、チームメイト全員に浸透していくように感じられた。
261  エースキラー   2014/09/28(Sun) 23:15:15:54
まもなく試合が始まる。 楓君は鋭い眼光で相手チームのアップの様子を観察している。
「相手チームの弱点みたいなものは解るか?」
川田が楓君に質問してみた。
「試合が始まってみないことには解りませんね。 でも、おそらく弱点なんてものは、
どこにも存在しないでしょう。 相手がこちらを甘く見て、油断してくれると
チャンスが有るのですが、どうやら、そんな気配も無いようですし。」
「どう戦うつもりだ?」
「それも解りません。 徹底的に守備を固めて失点しないようにする以外に
方法は有りませんね。 そうなると当然、相手は焦り始めると思います。
それに、どんなに強いチームでも四十分間、一度のチャンスも訪れないという
ことは有りません。 チャンスは必ず訪れます。 そのチャンスを確実に
ものに出来れば勝てますし、ものに出来なければ負けるだけのことです。
でも、そのチャンスはそれほど多くはないと思います。 もしかしたら、
一度切りかも知れませんね。 その場合、チャンスをものにして得点出来たと
しても、相手チームに二点取られたら負けになりますし、一点ならば引き分けで
PK戦です。 何れにせよ、ギリギリの勝負になることでしょう。」
そう言ってから楓君はアップを再開した。
試合前に対戦相手の監督が、わざわざ挨拶に来てくれた。
決勝戦ということも有るのだろうが、こういうのは県予選では初めてのことだった。
川田よりも若輩の監督のように見えたので、向こうから挨拶に来るというのが、
常識的なことでは有るだろう。
「小鳥遊嘉信と言います。 一つお手柔らかにお願いします。」と言って
名刺を差し出しながら、丁寧にお辞儀をした。
物腰こそ柔らかかったが、目の奥はまるで笑ってはいなかった。
「たかなしさんとお読みするのですか、珍しい、お名前ですね。」
そう言いながら川田も名刺を渡そうとしたが、自分は名刺など作ったことも
ないことを思い出した。
262  エースキラー   2014/09/29(Mon) 13:00:14:67
「珍名の部類ですからね。 良く{ことりゆう}さんと呼ばれてしまいます。
楓君の噂は聞いていますよ。 頭脳明晰でエレガントな、洗練されたプレーヤー
らしいですね。 こちらも真剣に研究しましたが、最後まで分析不可能でした。」
そう言いながら、小鳥遊はアップをしている楓君の方をちらりと見たが、
楓君は軽く会釈をしただけでニコリともしなかった。
名前は珍しいが、面貌は没個性を絵に描いたようなツルリとした抑揚のない外見で、
名前だけが長く記憶に残り、顏の方は三十分もすれば記憶から消えてしまうような
タイプの人物だった。
「こちらこそ、お手柔らかにお願いします。 出来れば本気を出さないで欲しい
ものですが。」
小鳥遊が目以外のパーツを使用して笑った。
「それでは失礼します。」と言って小鳥遊が立ち去って行った。
名前以外は無個性で目だけは笑っていない男、と川田は思った。
余り一緒に酒を飲みたくはないタイプの人物だった。
だが、これだけのチームを作り上げたのだから、指導力は優れているのだろう。
でも俺だって、あれだけ優秀な選手が集まっていれば、県予選で優勝出来るに違いない、とも思った。
これまでには無かった独特の緊張感に包まれた中、決勝戦がスタートした。
緊張するな、と言ったところで無理なので、川田は特に何も言わずに選手達をピツチという名の戦場に送り出した。
相手チームの選手達の表情も硬い。 楓君だけが普段と変わりなく見えるが、
内心はどうだか解らない。
相手チームは中盤でゆっくりとパスを廻しながら、慎重にゲームに入って来た。
まずボールに一度触れると、かなり気持が落ち着くので、取り敢えず全員に
パスを廻そうという狙いが感じられた。
そのパス廻しを見ているだけでも、相手チームのプレーヤー達の技術の高さが窺い知れた。


263  エースキラー   2014/09/29(Mon) 23:28:39:30
全員ファーストタッチでミスをすることもなく、きっちりとボールを足元に収め、
正確なパスを出す。 基本中の基本だが、野球でキャッチボールをしているところを
見るだけで、大凡の技術が解るのと同じように、パス出しとファーストタッチを見れば、
レベルの高さは推測出来るものだ。
おそらく、内のチームに同じことを遣らせたら、何人かのプレーヤーが
ファーストタッチをミスしたり、パスの精度が落ちたりするはずだからだ。
決勝の相手は準決勝のチームとは逆に、楓君のいない右サイドから攻め始めた。
楓君が広瀬 翼とポジション・チェンジをして右サイドへ移動すると、
今度は左サイドから攻めて来る。
どうやら楓君以外のプレーヤーは、取るに足らないと考えているようだ。
確かに相手チームのレベルから見れば、そう思われても仕方がないかも知れない。
相手チームの選手達はMFもFWも、スピードとテクニックを兼備していて、
ドリブルも速くて、パスも、ほとんどワンタッチで正確に通して来るので、
少しでも対応が遅れると簡単に突破されて、あっという間にペナルティーエリア内に
まで侵入されてしまうのだ。
広瀬 翼も、これまで、これほどスピードとテクニックを持ったチームと対戦
したことが無いので、どう対処したらいいのか解らないように見えた。
もしも、県予選が始まる前に練習試合を申し込んでいたとしても、鼻で笑われて
即座に断られていたような相手だからだ。
前半十分には右サイドを楽々と突破されて、強烈なシュートを打たれてしまったが、
幸いシュートはクロスバーの僅か数センチ上を通過して行った。
川田は慌ててテクニカルエリアまで飛び出して行ったが、何を指示すれば
いいのか解らなかった。
楓君が川田の方を振り返って、このままではだめです、ディフェンスをもう一人
増やしてください、というサインを送って来た。
川田が一体、誰をディフェンスに入れようかと迷っていると、耳元に、
あの坊やの声が聞こえて来た。
「大至急、前田拓也をディフェンスに入れてください。 それでも、得点を
奪われてしまうと思いますが、一点ならば何とかなります。
とにかく急いでください。」
264  エースキラー   2014/09/30(Tue) 14:24:37:52
川田は大声でワントップに張っていた前田拓也に、ディフェンスに入るように
指示を出した。 取り敢えず攻撃は封印である。
前田拓也を最終ラインに入れて、ファイブバックの形を取り、その前に広瀬 翼
と七瀬 楓という布陣になった。
確かにディフェンスに入れるなら前田拓也しかいないだろう。
高さもあるし、フィジカルも強いからだ、ということに、ようやく気が付いた
川田であった。
広瀬 翼と七瀬 楓のコンポジションも悪くはないが、広瀬 翼と前田拓也の
コレスポンデンスも、そのプレースタイルが対極で有ると言う意味で、
科学変化的な効果を発揮するのだと気付かされた。
広瀬 翼と七瀬 楓はその存在感が対極だが、広瀬 翼と前田拓也は、それぞれ
の歪な個性を補完し合うという意味で有用なのである。
それにしても、これまでFWしかやったことのない前田拓也を、決勝戦で
突然DFで起用して、広瀬 翼とコンビを組ませるなどというアイデアは、
余程の名将か、神で無ければ思い付かないことだろう。
やはり、あの坊やは人間ではないようだ、と今更ながら川田は思った。
そして、それならば、あの坊やを強引に車の中に引き摺り込んで一発やることは
出来ないじゃないか、と考えて非常に残念な気持に襲われると同時に、
今は坊やを凌辱することは忘れて、ゲームに集中しよう、と決心した真面目な川田であった。
左サイドは楓君に任せて、右サイドは広瀬 翼と前田拓也の二人で、ネットディフェンスを
駆使して守り切るという戦術で行くことにした。
これで大きな穴が無くなったわけだが、それでも相手チームは執拗に攻撃を仕掛けて来る。
何人で守ろうと絶対に突破してゴールを奪ってやる、そして楓君とのマッチアップは徹底して避ける、
という戦術のように見えた。
試合前に挨拶に来た小鳥遊監督が言った言葉、こちらも真剣に研究しましたが、
最期まで分析不可能でした、というのは、どうやら満更、嘘では無かったようだ。
相手チームも楓君だけは、どうしたらいいのか解らないので、徹底的に勝負を
避けよう、それが一番、無難な方法で有る、という結論に達したようだ。

265  エースキラー   2014/09/30(Tue) 23:24:04:13
まあ、何と言うか、高校野球時代の星稜高校の松井を全打席敬遠したような、
負け犬のように女々しくて、戦に敗れ去って逃走する落ち武者のように臆病で、
政治家のように薄汚くて、公金を横領している、どこかの知事のように狡猾な
作戦では有るが、あの監督ならば遣りそうなことだと川田は思った。
勝つためなら何でもやる、例えそれが、おかまの戦術だとしても。
確かに高校時代の松井選手の顏は怖かった。 それは事実である。 認めよう。
しかし、生活が懸かっているプロなら兎も角として、高校野球で全打席敬遠
というのはないだろう、とは思う。
楓君は独りしか存在しない、だから楓君のいないサイドから攻撃を仕掛ければ、
必ず突破出来る筈だ、そのように考えているのだろう。
これは練習試合でも親善試合でもなく、公式試合で有り、しかも全国大会出場
を懸けた決勝戦なのである。 危ない橋は渡りたくない、そう考えるのが当然
なのかも知れない。
もし楓君に勝負を挑んで、ボールを奪われてしまったとしたら、悪魔のような超高速ドリブルか、
一発で相手チームの息の根を止めてしまう野生の肉食獣の鋭い牙のごとき、
スルーパスを通されてしまう可能性が高いからである。
これまで防戦一方だったチームが、一瞬にして息を吹き返して、得点を奪われて
しまう危険性が高いのだ。
小鳥遊監督が言ったように、相手チームは楓君を研究し尽くした末に、
楓君とは徹底して勝負を避けるのが賢明で有る、という結論に達したのだろう。
楓君の恐ろしさを良く理解している監督で有り、若いのに俺よりも、ずっと
頭が切れる、と川田はある意味、感心していた。
大事な物をどこかに忘れて来た、女々しいおかまで有ることに変わりはないが。
もちろん、高碕からの情報も入手済みだ。
あの監督は一見、紳士的だが、頭が切れて油断のならない男で有る、という話だった。
男で有る、というのは何かの間違いだろう、と思った川田だったが、まあ、それは
取り敢えず置いておくことにした。


266  エースキラー   2014/10/01(Wed) 22:11:36:51
前田拓也をデイフェンスに持って来ることで、守備の方はかなり盤石になったが、
相手チームの攻撃は、これまで県予選で対戦したチームの中で最もスピードに
溢れていた。 スピードというのは只、単に足が速いということではない。
もちろん足も速いのだが、パスのスピード、ドリブルのスピード、シンキングスピード、
それらの総てが内のチームを上回っているのだ。
楓君以外は、これほどの強豪チームと対戦するのは初めての体験である。
練習試合で対戦した高崎のチームも強かったが、それ以上の凄味を感じさせた。
だから、当然スピードに付いて行けなくなって来る。
只でさえ、この暑さの中での二試合目であるから、足も動かなくなって来ている
ように見えた。
川田は早めにリザーブの選手達をアップさせ、選手交代に備えた。
セカンドハーフの頭からは、スーパーサブの松井弘志も投入予定だ。
小柄だがスピードとテクニックを兼備していて、相手が疲れて来た時にピッチに
投入すると非常に効果的なプレーヤーなのである。
楓君との相性もいい。 スピードとテクニックのある選手が二人入れば、
相手ディフェンス陣も混乱を来すことだろう。
セカンドハーフは、ウルトラ超特急の二人で、相手ディフェンス陣を掻き廻して
やろう、と川田は企んでいた。
それならば、もったいぶらずにゲームの最初から松井弘志を起用すればいいのではないかと、
素人は考えるかも知れないが、松井弘志というプレーヤーは、確かにスピードと
テクニックを兼備している優れたプレーヤーなのだが、肝心のスタミナが不足している上に、
集中力が持続しないという重大な欠点を抱えているのである。
だから、もしも一日に二試合にフル出場とかさせてしまうと、スピードもテクニックも、
極めて凡庸なプレーヤーに変わり果ててしまうわけだ。
その辺りが選手起用の難しいところで有り、監督がしっかりと見極めなければ
ならない重要なポイントなのだ。
決勝戦でも本当はゲームの最初から使いたいのだが、そうすると効果が半減
してしまうわけなのである。

267  エースキラー   2014/10/03(Fri) 01:13:05:34
「楓君がもう独り欲しい。」と川田が呟いた。「それとも相手チームの主力選手
を半分ほど怪我で欠場して貰うことは出来ないでしょうかね、神様。」
「それは無理です。」と川田の耳元で坊やの声が聞こえた。「アドバイスを送る
ことは出来ても、物理的に手を下すことは許されていないのです。 飽く迄も
自分達の力で戦ってください。」
「そんな冷たいことは言わないでくださいよ、神様。」と川田が泣き付いたが、
坊やの声はそこで途絶えてしまった。
「監督さんは一体、誰と会話をされているのですか?」と今日も川田の隣に
座っている松井弘志が不思議そうな表情で質問した。
「さっき現れた神様の使いの坊やとだよ。 姿は見えなくなったが、
俺だけに声でメッセージを送って呉れるんだ。」
「ほんとですか、それは。 そんなことが有るんですね。 僕を早く試合に
出しなさい、というメッセージは送って来ないんでしょうか?」
と松井弘志が訴えるような目で質問した。
「それはない。」と川田が簡潔に答えた。
松井弘志は攻撃の切り札であって、スピードとテクニックと得点感覚は持ち合わせているが、
高さも余り無いし、フィジカルも強くは無いので、ディフェンスには適さない。
つまり、今の段階で投入したとしても明らかに時期尚早で有り、それほどの
効果を期待出来ないということになるのだ。
この暑さに加えて本日二試合目になるので、いくら選手層が厚いとは言っても、
相手チームだって確実に疲弊して来るに違いないのだ。
その時点で松井弘志を投入するのが、最も効果的な選手交代で有る、と川田は考えていた。
松井弘志は相手ディフェンスの裏に飛び出すタイミングが抜群で、楓君とコンビを組ませると、
ディフェンス陣を攪乱することが可能になるだろう。
怪我の影響で県予選の途中からベンチに入ったので、相手チームも充分にスカウティング
出来ていない、ということも利点になるだろう。
268  エースキラー   2014/10/03(Fri) 17:43:11:81
セカントハーフの頭から使おうと考えていたが、今の試合展開では無理なので、
セカンドハーフの十分ぐらいから投入する、それまで力を溜めておけ、
と川田は松井弘志にそのように伝えた。
しかし、前半十七分過ぎ、流れるようなパスワークとスピード感溢れるドリブルで、
右サイドをまるで網を突き破る鋭い槍の穂先のような攻撃で完璧に突破され、
ゴールネットを揺らされ、先取点を奪われてしまった。
これで、また作戦の変更である。 戦況は生き物のように刻々と変化するのだ。
こちらは何としてでも、得点を奪いに行かなくてはならなくなってしまったのである。
大至急、松井弘志にアップを始めさせた。 後半の頭から投入するための準備だ。
後半戦、相手は引いて守って来るのか、更に追加点を狙いに来るのかは不明だが、
こちらはこのままでは負けてしまうことは確かなのである。
松井弘志と七瀬 楓の二人を前線に上げて、失点覚悟でゴールを狙いに行こう、
チャンスと見れば広瀬 翼と前田拓也の二人も、攻撃参加させて勝負に出よう、
と川田は考えていた。 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、である。
勝ち負けよりも、まずは同点に追い付かないことには話にならないのだ。
そんなことを考えている内に、ホイッスルが鳴って前半戦が終了した。
ベンチに引き揚げて来る選手達の表情には、流石に疲労の色が見えた。
特に前田拓也、広瀬 翼、七瀬 楓の三人は二試合供フル出場であるから、
いくらタフだとか、ペース配分が上手いとは言っても、疲れていないはずはないのだ。
前田拓也は少し足を引き摺っているように見えた。
相手の激しい攻撃に体を張ってディフェンスをしていたので、どこかを痛めた
としても不思議はないだろう。
広瀬 翼もディフェンスに追われて、かなり疲弊しているように見えたが、
この二人を交代させるわけにはいかない。
徹底して相手チームから避けられ楓君が無傷なのが、せめてもの救いではある。
どこも痛めてはいないようだし、それほど疲弊し切っているようにも見えなかった。
松井弘志も早く試合に出たくてウズウズしていて、元気一杯である。
この二人が本気で攻撃を仕掛けたなら、相手チームも、かなり慌てるに違い無かった。
269  エースキラー   2014/10/04(Sat) 23:31:29:06
七瀬 楓と松井弘志の二人には、内のチームの他のプレーヤー達が持ち合わせて
いないプレースタイルー喩えれば恣意的な野良猫のような魅力に溢れているのでー
規律正しく訓練された警察犬を彷彿とさせる、相手チームのプレーヤー達が
群雄割拠しているピッチ上に放つことによって、アドレナリンとエンドルフィンを
同時に投与するような、異物感を感じさせることが可能になるのではないか、
と川田は考えていた。
楓君がボランチのポジションにいても、それほどの脅威を与えることは出来ないが、
攻撃的な位置にポジションを取ることによって、それだけで相当なプレッシャーを
相手チームに感じさせることがことが可能になるだろう。
守備的なポジションにいたなら、徹底して楓君を避ければいいわけだが、
攻撃的なポジションに移られると、そういうわけには行かなくなってしまうからだ。
ハーフタイムは短い。 前田拓也の足の具合を確かめ、後半から投入する三人の
メンバーにポジショニングを指示して、楓君と松井弘志に失点覚悟でゴールを
狙いに行くように伝え、広瀬 翼と前田拓也にも、チャンスと見れば積極的に
上がるように伝授するだけで、時間が無くなってしまった。
楓君は当然ゴールを狙いに行きます、そうしないと負けてしまいますから、
とだけ言い残してピッチに戻って行った。
楓君の目も、他のメンバー達の目も、まるで死んではいなかった。
これならば、後半戦に相手に一泡吹かせることが可能かも知れないな、と川田は
選手達を頼もしく見送った。
七瀬 楓と松井弘志の二人は、後半開始早々に奇襲攻撃に打って出た。
とにかく時間が無いのである。 負けている時の二十分間はあっという間に過ぎてしまうのだ。
百戦練磨の相手チームは、時間の使い方にも習熟しているだろうから、残り時間が少なくなるほどに、
パスを巧みに廻されて時間を消費させられてしまうだろう。
そうなる前に勝負に出ろ、と楓君の野性的な勘が肉体に指示を送ったのだろう。
相手チームは楓君の攻撃参加にも、松井弘志のプレースタイルにも上手く対応
出来ていなかったからだ。 広瀬 翼と前田拓也の二人も当然サポートに付く。
その動きに対して相手チームは予想以上に慌てた。



270  エースキラー   2014/10/06(Mon) 00:01:22:31
得点を奪いに来るだろうとは予測していただろうが、後半開始早々にいきなり
楓君と、スカウティングが充分ではない松井弘志が二人一緒に攻め上がって来たの
だから、それは慌てるだろう。
楓君のドリブルは、まるで日本列島を襲撃する秋台風が、沖縄付近で急激に
進む方向を変え、上空を流れる偏西風に乗って加速するようなスピード感が有って、
相手のスライディング・タックルさえ寄せ付けなかった。
楓君から松井弘志に正確なパスが通って、松井弘志がドリブルを開始したが、
これがまた、相手チームを驚かせるには充分過ぎるほどのスピードに乗った
ドリブルだった。 まるで病臥から蘇った人間が、これまでの鬱積した気分を
一気に晴らすかのような躍動振りに見えた。
相手チームのプレーヤー達は、この選手は一体、誰なんだ、こんな選手が
ベンチに残っていたのか、と驚愕したことだろう。
何と言っても体力が余っていて、試合に出たくて仕方が無かったプレーヤー
なのである。 松井弘志は相手チームに取っては、まったくノーマークのプレーヤーで有り、
得体の知れない選手で有って、そのスピードに驚いている内に、再び楓君に
パスが通った。 秘密兵器の松井弘志とは違い、楓君の方はマークされまくっているので、
スライディング・タックルが雨霰のごとく襲い掛かって来るが、楓君は持ち前のスピードと
動物的とも言える反射神経で、それらを躱し続けて前進する。
そして、もう一度、前田拓也にボールを預け、前田拓也からのリターンパスを
ゴールに背を向けた状態で受け取った楓君は、ラーボ・デ・バッカ(ポルトガル語で牛の尻尾の意味)
のテクニックを使って百八十度ターンし、立ち塞がる相手ディフェンダーを
ビックブリッジを用いて突破して、もう少しでペナルティーエリア内に侵入して、
シュートを放つかというタイミングで、相手チームのプレーヤーが楓君の背後から
スライディング・タックルを仕掛けた。
楓君にペナルティーエリア内に侵入されてしまったら、万事休す、ほぼ間違いなく
シュートを決められてしまうだろう、と判断した相手チームの選手がファウルを
覚悟で、いや、もっと言えばレッドカード覚悟で、背後からスライディング・タックルに
行ったのである。

271  エースキラー   2014/10/06(Mon) 01:11:55:80
前田拓也ではなくて、松井弘志です^^;
272  エースキラー   2014/10/06(Mon) 12:40:20:62
ご存じのように脚の前面は、シンガードによって保護されているが、足の後ろ側を
守るものは何もない。
それに前や横からのスライディング・タックルは視界に捉えることが可能なので、
楓君ならば楽に躱して見せることだろう。
だが、いくら楓君でも後に目は付いていないのだ。
音や気配で、背後から敵が迫っていることは察知出来ても、まさかスライディング・タックル
に来るとは予想しないだろう。
従って非常に危険なプレーで有ることは言うまでも無いのだ。
相手のスライディング・タックルは楓君の左足アキレス腱に、もろに突き刺さった。
楓君は不吉な悪夢を予兆させるような倒れ方で、両手で足首を押さえながら
ピッチに蹲った。 何だか、ぐしゃ、というような嫌な音がベンチにいる川田まで
聞こえて来た。
試合が始まる前に、神の使いである坊やが楓君に忠告したことは、このこと
だったのだろうか、と川田は思った。
アキレス腱断絶の大怪我で有るとか、もしかしたら選手生命に関わるような
致命的な大怪我の可能性も考えられるのだ。
当然、一発レッドカードで退場だと思っていた川田であったが、レッドカード
どころか、イエローカードが出ることもなく、只のファウルということで処理され、
直接フリーキックが与えられただけだった。
川田は怒り狂い、審判の金玉を握り潰してホルモン焼きにして食ってやろうかと
思ったが、如何にも不味そうに思えたので、止めた。
楓君はしばらくの間、立ち上がることが出来なかったので、担架を要請しようか
とも考えたが、その前に左足を気にしながらも何とか立ち上がった。
そして、選手達が集まり何事かを話し合っている。
どうやら楓君がフリーキックを蹴らせて欲しい、と主張しているようだ。
利き足の左足に、背後からスラィディング・タックルを受けたばかりの楓君が、
である。  どうやら、アキレス腱断絶という最悪の事態は避けられたようだが、
それにしても痛みが無いはずはないだろう。 
余りにも無茶な話である。 確かに楓君ほど正確なフリーキックを蹴れる選手は
内のチームには存在しないのだが。
273  エースキラー   2014/10/07(Tue) 00:13:31:04
しかし、それは楓君が普通のコンディションの場合であって、足を引き摺りながら
何とか立ち上がった今の楓君に、どれだけのフリーキックが蹴れるかは疑問である。
当然、他の選手も止めているのだろうが、楓君は頑なに譲らないように見えた。
自分が受けたファウルなのだから、自分でシュートを決めてやる、とでも
考えているのだろうか。
楓君は漢である、と川田はまた思った。 汚いことをしてまで勝とうとする、
ホルモン焼きにさえならない不味そうな金玉をぶら提げた、おかま監督とは
天と地ほどの隔たりを感じる。
川田はテクニカルエリアから、楓君にフリーキックを蹴らせろ、おかま野郎に
だけは絶対に負けるな、と大声で叫んだ。
審判が慌てて走り寄って来て、おかま野郎とは誰のことですか、と莫迦丸出しの
質問をしたので、相手チームの監督とお前のことだよ、ボケ、と親切に教えてやると、
不穏当な発言により退場処分を命じます、とおかま審判がほざき、川田は即座に
退場になってしまった。
ふふん、何が不穏当な発言だ、腐った金玉野郎の分際で、いつちょまえの口を
聞きやがって、俺がいなくなっても、楓君が芸術的なフリーキックを決めて
同点に追い付いてくれるぜ、退場しなければならないのは、楓君の背後から
危険極まりないスライディング・タックルを仕掛けた、相手チームのプレーヤーと、
節穴の目をしたお前の方じゃないのか、という捨て台詞を残して、川田は
肩で風を切るような堂々とした態度で退場して行った。
このような経緯で、決勝戦のベンチから監督が消え失せたのである。
だが、その直後にピツチと相手チームの選手達が凍り付くことになる。
楓君の直接フリーキック。 何枚かの壁が立ち塞がったが、楓君の前には豪雨の後の
荒れ狂う川の激流に贖う土嚢ほどの役にも立たなかった。
楓君は痛めた左足で、壁の外側から巻くようなアーティスティックなシュートを、
ゴールの左上の隅に決めて見せたのである。 これ以上はないというような高制度のフリーキックだった。
楓君は相手チームの練りに練った戦術も、背後からの反則行為も、川田の退場も、
ゴール前に立ち塞がる壁も、相手ゴールキーパーの存在も、その総てを自らの
才能で無力化して退けたのである。
274  エースキラー   2014/10/07(Tue) 00:15:39:97
高制度×
高精度○
275  エースキラー   2014/10/07(Tue) 01:31:42:62
聞きやがって×
利きやがって○
276  エースキラー   2014/10/07(Tue) 20:14:47:04
本物の才能の前には、凡庸な才能は平伏する以外にない、という覆すことが不可能な
冷酷な現実を証明して見せたプレーでもあった。
これで1対1の同点に追い付いたのだが、このゴールと同時に天候の方も
急変して来た。 これまでギラギラとした太陽が照り付けていた上空に薄い雲が
広がり始め、やがて、それが真っ黒な雲へと変化し始めた。
まさに風雲急を告げるである。 相手チームは楓君のフリーキックに恐れをなしたのか、
守備を固めることに重点を置いて、それほど攻めて来なくなった。
元気一杯で張り切っている松井弘志が、盛んにドリブルでゴールに迫るが、
数的優位な相手ディフェンス陣に阻まれて、シュートを放つところまでは行けない。
楓君は明らかに左足を痛めていて、全力疾走することが無理なように見えたが、
相手のプレーヤーには、そのことを悟られないようにしている。
全力疾走どころかほとんど歩いているのだが、相手チームのプレーヤー達は、
こりまでの試合のスカウティングから、いつトップスピードにギヤを入れるのか
解らないと警戒しているようだ。
真っ黒な空から大粒の雨が滝のように落下して来て、あっという間にピッチを
ぬかるみに変えて行く。 酷い雨だ。 ドリブルによる攻撃は封印されるし、
パスも想うように繋がらなくなって来た。
後半、残り時間は十分。 こうなると松井弘志のスピードとテクニックが
死んでしまうので、本人には悪いがディフェンダーと交代させた。
選手交代の指示は川田が代理監督になっている若いコーチに、メールで知らせている。
たった十分ほどの試合出場ではあったが、松井弘志がいなければ、楓君の
フリーキックによる得点も無かっただろう。 スーパーサブの松井弘志の功績は大である。
本当は楓君も交代させてあげたかったが、楓君がピツチから消えてしまうと、
再び相手チームの怒濤のような攻撃が開始されるので、交代させるわけにはいかないのだ。
相手チームが攻撃の手を緩めているのは、天候のせいも多分に有るだろうが、
楓君の攻撃を恐れてのことだからだ。
楓君が足を痛めていることには気付いているだろうが、それでも楓君の存在が
怖いようだった。

277  エースキラー   2014/10/07(Tue) 20:17:08:69
こりまでの×
これまでの○
278  エースキラー   2014/10/08(Wed) 00:01:22:01
豪雨で泥塗と化したピツチのせいで、相手チームが得意とするスピードに溢れた
ドリブルとパスワークが殺されてしまった上に、楓君が常にゴールを狙っている
(狙っているような演技をしている)ために、これ以上の無理はしたくない、
と考えたとしても無理はないだろう。
豪雨の方は試合終了のホイッスルが鳴るのと、ほぼ同時に突然止んで、再び
元の青空が広がり始めた。 結果は1対1の引き分け。
試合中にジャイアントキリングを実現することは出来なかったが、まだPK戦での
チャンスが残されている。
こちらのキッカーは、七瀬 楓、広瀬 翼、前田拓也、松井弘志、小林 舜の
五人である。 PK戦に縺れ込んだ場合は、このメンバーで行くということは、
最初から決めていた。 但し、左足を痛めている七瀬 楓と、右足を引き摺っていた
前田拓也が心配ではあるが、ここまで来れば、そんなことは言っていられないのだ。
退場になっている川田は、コーチを通しての間接的な指示になったが、一応、
本人達に確認してみたところ、七瀬 楓も前田拓也も、もちろん僕が蹴ります、
という返事が即座に返って来たらしい。 流石である。
それぐらいの気概を持たなくては、勝負事に勝つことなど出来ないからだ。
二人の怪我の程度などは詳しく確認していない。
走れるのだからボールも蹴れるだろう、という川田らしい判断である。
本人が自分で蹴ります、と言っている以上、監督としては任せるしかないのだ。
PKを蹴る順番も、広瀬 翼、小林 舜、前田拓也、松井弘志、七瀬 楓と
決めてある。 怪我をしていようと、足を痛めていようと、変更するつもりは
一切無かった。 一番プレッシャーの掛かる五人目のキッカーは、楓君に任せる
しかないだろう。 チームのエースで有り、メンタルも強いからだ。
その時、川田の耳元に坊やからのメッセージが届いた。

279  エースキラー   2014/10/08(Wed) 23:17:57:29
「これは、ぼくからの最期のメッセージです。 楓君にPKを蹴らせるのは
止めてください。 楓君はもう利き足の左足でボールを蹴ることが出来ません。
ファウルを貰った後に、無理にフリーキックを蹴ってしまったために、
残念ながら楓君の選手生命が終了してしまいました。
もちろん、ぼくから本人に直接、警告をしたのですが聞き入れて貰えませんでした。
いい意味でも、悪い意味でも、楓君はそういった選手なのです。
総ての人間に対する接し方がデタッチメントですから。
人間だけではなく、神の使いのぼくに対しても、ということですね。
他人を信じないとか、他の人間はどうなってもいい、という意味ではなくて、
常に自立した個で有り続けるプレーヤーで有り、人間なのです。
楓君はもう右足でしかボールを蹴れませんし、左足は軸足としても機能しなくなっています。
もちろん、全速力で走ることも、高速ドリブルをすることも、制度の高いパスを出すことも、
出来なくなってしまいました。 これは、試合前のぼくの警告を聞かなかったせいです。
そして、楓君には更なる地獄が待ち受けています。 
これは監督さんの気持次第ですから、ぼくにはどうすることも出来ませんし、
もしかしたら、こういう結果は総て楓君本人か招いたことなのかも知れませんね。
これにて、ぼくの役割は終わりました。 もう姿を現すことも有りませんし、
声によるメッセージをお送りすることも有りません。 それでは失礼しました。」
それだけ言い終えると、坊やの声は二度と聞こえなくなってしまった。
川田は深い溜息を吐いた。 これは一体どういうことなんだよ?
悪いのは楓君を試合に使った俺だとでも言うのか? 俺が楓君の選手生命を奪った
とでも言いたいのか? 俺も楓君も試合に勝つために一生懸命に戦って来ただけじゃないか・・・。
悪いのは楓君に背後からスライディング・タックルを浴びせたプレーヤーと、
それを奨励した相手チームの監督ではないのか?
確かに神様の使いの忠告を順守して、楓君を試合が始まる前に帰宅させていれば、
今回のような悲劇は起こらなかっただろう。
しかし、楓君本人だって、そんな忠告に納得して、準決勝が始まる前に試合を
ほったらかして、家に帰ったりするはずがないのだ。



280  エースキラー   2014/10/09(Thu) 12:14:19:99
制度×
精度○

良く間違えるな(>_<)
作者も、かなり疲弊しているようです^^;
281  エースキラー   2014/10/09(Thu) 16:06:23:91
こんなことを報告すれは、高碕に本気で殺害され兼ねないのではないか、
と川田は危惧した。
いや、殺戮されなければならないのは俺ではなくて、相手チームのおかま監督
の方ではないだろうか。
若干十一歳で選手生命が終焉する。
それが早熟の天才プレーヤーに対して、神が下した情け容赦のない刑罰なのだろうか?
確かに楓君は総てに恵まれ過ぎていた。
サッカーのスキルは天才的で、頭脳明晰であり、ルックスも抜群で、家庭も裕福だ。
だから、このまま順風満帆に人生を歩ませるのは、余りにも不公平である、
と神様が判断したのかも知れない。
一応、使者を寄越して忠告だけはする。 だが、その後のことは本人の意思に
任せる、というスタンスで。
どうやら、楓君という少年は、十一年間で人生の運を使い果たしてしまったようだ。
人生の運というものは、プラス、マイナス、ゼロで有る、いう説がある。
作者には確信はないが、そういう気がしないでもない。
生まれてから死ぬまでの間、常に幸福と栄光に包まれて一生を終える人物というのを、
寡聞にして知らないからだ。
天才の人生というものは−作者は今だに天才というものになったことがないので良く解らないのだが−
苦悶と呻吟に満ちたものであるような気がする。
だから、天才などに生まれて来なくて、本当に良かったな、としみじみ考えているのである。
良くは解らないが、大体のことを推測することは可能だからだ。
本当に大変なのだろうと想像する。 
凡庸なる人間が、気にしなくてもいいようなことまで、真剣に悩まなくては
ならない事態に陥ってしまうはずだからである。
川田はスタンドの一番上の席に座って、頭を抱えながらPK戦の行方を見守る
以外に方法が無かった。
楓君の最期の晴れ姿を−晴れ姿になるという保証なんて、どこにも無かったのだが−
この目で目撃しよう、と川田は悲愴な決意をしていた。
楓君の足がどういう状態であろうと、本人がPKを蹴りたいと希望している
のだから、望み通りに蹴らせてあげるのが、せめてもの餞別になるだろう。


282  エースキラー   2014/10/10(Fri) 00:00:47:01
坊やの話によると、利き足の左足でボールを蹴ることが出来ない、軸足としても
機能しないという状態で、PKはもちろん、ぼくが蹴ります、ときっぱりと
宣言しているのだから。
コイントスにより、相手チームが先に蹴ることになって、一人目のキッカーが
ボールを慎重にセットしている。
五人目のキッカーもプレッシャーが掛かるが、最初のキッカーというのも、
また別の種類のプレッシャーが有るものなのだ。
だから、こちらは冷静沈着な土竜の広瀬 翼を指名したのである。
相手チームの最初のキッカーも、背番号Gを付けた主力中の主力の選手であった。
最初のキッカーがシュートをミスする、或いはキーパーの好セーブでシュートを
防がれる、ということになると、次のキッカーにプレッシャーが順送りになって
しまうのだ。 相手チームのキッカーも、百戦錬磨というか、PK慣れしていると
言うべきか、実に落ち着き払っている。
余り助走を取らずに、ゴール左隅に軽く流し込んで見せた。 流石である。
次に広瀬 翼がボールをセットする。 広瀬 翼も実に落ち着いていて、
頼もしく感じられた。 先程の豪雨でピッチが淤泥のようになっているのが
心配ではあるが、広瀬 翼は長めの助走を取って、右に飛んだキーパーを
嘲笑うかのように、ゴールのど真ん中に強烈なシュートを決めて見せた。
これで1対1。 相手チームの二番手は背番号Fの選手だ。
スピードとテクニックを兼備し、ブレインにも優れた実に厄介なプレーヤーであった。
おそらくPKも、そつなくこなすことだろう。
川田の予想通り、キーパーの動きを最期まで冷静に見て、左に動いたキーパーの
逆を取って、ゴール左隅に正確にコントロールされたシュートを決めた。
相手チームのプレーヤー達は修羅場を何回も経験しているというか、練習試合などで
他の地域の強豪チームと多く対戦していて、PK戦の経験も数多く積んでいるようだ。
楓君が痛めた左足を少し気にしている。 痛めた利き足の左足で蹴るか、
右足で蹴ろうかと迷っているのかも知れない。
283  エースキラー   2014/10/11(Sat) 00:37:20:55
蹴るにせよ、軸足にするにしろ、かなりの負荷が掛かることは間違いない。
淫霖では無かったとは言え、かなり激しい雨だったので、普段のピッチよりも
軸足の踏ん張りが重要になってくるからだ。
二人目のキッカーである小林 舜は、技術的に少しばかり未熟な部分があるので、
不安要素が無いわけではない。
もしも、二人目のキッカーである小林 舜が外してしまうようなことが有ると、
負の連鎖が起こり、それと供に相手チームのキーパーが気分的に乗ってしまい、
三人目の前田拓也も・・・という事態は充分に想定出来るからだ。
しかし、そんな川田の心配を余所に、小林 舜は実に落ち着いてキーパーの
心理を読んで、見事にPKを決めて見せた。 これで2対2。
内のチームの選手達も随分と逞しくなったものだな、と川田は感慨深くPK戦を見守っていた。
これも総て楓君の功績なのである。
相手チームの三人目は、背番号HのバリバリのCFで有り、先取点を決めた
プレーヤーでもあった。
出て来る選手、出て来る選手が皆、全国レベルのプレーヤー達ぱかりであり、
PKなんてものは決めて当たり前、というような顏でボールをセットし、
それほど助走も取らずに実に精度の高い、正確にコントロールされたシュートを、
キーパーの読みとは逆の方向に放ってゴールネットを揺らす。
良く訓練された警察犬のようだ、と川田はまた思った。
楓君もJリーグの下部組織チームのエースであり、高碕監督の元、サッカーの
テクニックはもちろんのこと、戦術、マリーシア、そして、挨拶、礼儀作法なども
厳しく教え込まれているはずだが、楓君というプレーヤーは、それらの枠から
はみ出した、野放図で、恣意的で、エレガントな外見からは想像も出来ないような
野性味と、それらとは真逆とも言える、緻密で計算し尽くされた知略、インテリジェンスが
共存している、類い稀なるプレーヤーなのである。
そんな選手は全国レベルのプレーヤーを揃えている、相手チームの中にも存在しない。
だからこそ、あの小鳥遊監督は楓君だけを恐れていたのである。



284  エースキラー   2014/10/12(Sun) 22:46:21:55
その見識に間違いは無かった。 それでも、楓君は相手プレーヤーが明らかに
故意に行ったファウルを受けて、利き足を負傷しながらも、自らゴールを決めて
同点に追い付いて見せたのである。
相手チームの三人目のキッカーが楽々とPKを決めた。 これで3対2。
こちらの次のキッカーは前田拓也であり、これも、かなり心配の種ではある。
何しろ相手チームの選手達にはPKを外しそうな雰囲気がまるで無く、もしも、
こちらが先に独りでもPKを外してしまえば、その時点で勝負が決まってしまう
ような空気がピッチ上を支配していたからだ。
相手チームのベンチに目をやると、小鳥遊監督が空疎な実存主義者のような
表情でPK戦の模様を眺めている。
こいつが楓君の選手生命を間接的に奪ったのだ、と思うと本気で腹が立って来て、
今すぐにでも小鳥遊監督を殺害したいような気分に襲われた。
だが、そんなことをしたところで、楓君の左足は元には戻らないのだ。
川田の心配を余所に前田拓也が見事にPKを決めた。
何も考えずに只、力一杯蹴っただけのように見えたが、枠内にシュートが
決まりさえすれば文句は無いのである。 これで3対3。
相手チームの四人目のキッカーが登場した。 背番号Bの体格のいいDFの
プレーヤーだ。 シュート力は有りそうだが、小細工は苦手そうなタイプに
見えたので、何とかキーパーが止めてくれるのではないかと淡い期待をしたが、
難無く決められてしまった。 これで4対3。
こちらの四人目のキッカーは松井弘志だが、テクニシャンだし、得点感覚にも
優れているので、川田は比較的、安心して観ていられた。
本人も自信があるようで落ち着いている。
PKというのはキーパーが、どんなに素晴らしい読みをしたところで、
完璧なコースに強烈なシュートを放てば、まず止めることは不可能なのだ。
最初から、そういう距離に設定されているわけだ。
285  エースキラー   2014/10/13(Mon) 14:33:27:96
そして、静止している状態のボールを蹴るのだから、このレベルの選手であれば、
ほぼ狙ったところに蹴ることが出来るはずである。
松井弘志は八分程度の力で、右足インサイドを使って、ゴールの右上隅を正確に
狙って蹴り、ゴールネットを予定調和的に揺らした。
もしキーパーが右に飛んでいたとしても届かないコースだ。 これで4対4。
誰もゴールの枠を外さないし、キーパーにセーブされることもない。
いよいよ五人目のキッカーとなった。 五人目のキッカーが二人供、決めた場合は
六人目、七人目と続いて行くのだ。 六人目、七人目に蹴ることが予定されている
キッカーが、ソワソワして落ち着かなくなって来た。
相手チームの五人目のキッカーは背番号Iの選手だ。 いよいよエースの登場である。
これからは、もう後がない。 自分が外して相手が決めれば、そこで勝負が
決定してしまうのだ。 もちろん、自分が決めて相手が外しても、勝負は決まる。
楓君も準備をしているが、いつもの自信に満ち溢れた表情ではなく、どこか
悲壮感みたいなものが漂っている。
楓君の足の状態を知っているのは、本人と川田だけなので、何とか相手の五人目
のキッカーが枠を外すか、キーパーにスーパーセーブをして欲しい、と川田は祈った。
そんな川田の願いも虚しく、相手チームのエースプレーヤーは、眉一つ動かさずに、
キーパーが絶対に触れないコースに強烈なシュートを決めて見せた。
凄いものだ。 誰も枠を外さないし、外しそうな気配さえ感じさせない。
おそらく十人目のキッカーまで行っても、相手のレベルはそれほど落ちないのだろうが、
こちらの方はどんどん落ちて行く一方なのだ。

286  エースキラー   2014/10/13(Mon) 17:16:43:04
これはもう、なるようになるしかないだろう、と川田は開き直った。
俎板の上の鯉だが、それよりも心配なのが楓君の足の状態である。
楓君がボールをセットした。 助走はほとんど取らないようだ。
もしかしたら、もう走れないのではないか、と川田は思った。
利き足でボールが蹴れない、軸足としても機能しない、そしてピツチは豪雨で
泥濘化しているのである。
プラス材料なんて何一つ見当たらなかった。 短い助走から楓君が右足を
コンパクトに振り抜いた。
やはり、あの坊やの言った通り、利き足ではシュートを打つことが出来ないようで、
川田が初めて見た楓君の右足によるシュートであった。
コンパクトで鋭い足の振りだったが、軸足としても機能しないと坊やに言われた、
楓君の左足がぬかるんだピッチの上で、ほんの少し滑ってしまったようで、
放ったシュートはクロスバーの僅か数センチ上を通過して行った。
コースは完璧だったのだが、軸足が滑ってしまった分だけ、シュートが
浮いてしまったようだ。
もし雨さえ降らなければ、今の足の状態でも楓君は何とかPKを決めていたのだろう。
だが雨は降り、楓君のPKはクロスバーの上を僅かに越え、PK戦は5対4で
相手チームの勝利になってしまったのだ。
これで総てが終わった。 おそらく宇宙の終焉も、このように突然訪れるのだろう。


287  エースキラー   2014/10/13(Mon) 20:21:07:62
選手達は泣き崩れ、楓君はしばらくの間、再び顏を覗かせた青空を茫然と眺めていた。
もし楓君が、あのまま高崎のチームに所属していれば、全国大会に出場して、
全国の檜舞台で日本中を驚かせるようなプレーを披露したことだろう。
その機会を強引に奪ったのは俺だ、楓君にも高崎にも、本当に悪いことを
してしまった、これは謝って済むような問題ではない、独りの天才プレーヤーの
人生を台無しにしてしまったのだから、俺には何も出来なかった、楓君に対する
ファウルを防ぐことも、フリーキックを蹴るのを止めることも・・・。
目を真っ赤に泣き腫らした選手達が、ロッカールームへ引き上げて来たが、
川田には選手達を慰めるのに有効な言葉が、何一つ浮かんでは来なかった。
特にまるで魂が抜け落ちてしまったかのような虚脱の表情を浮かべている、
楓君に掛ける言葉が。
ファンタジスタの称号を恣にした、ロベルト・バッジョだって、ワールドカップ、
アメリカ大会の決勝戦でPKを外して負けている、だから楓君も立派な
ファンタジスタだ、成功するにしても、失敗するにしても、派手なことを
やらかすのが、ファンタジスタというものなんだよ、などという言葉は、
今の楓君に取っては何の慰めにもならないだろうからだ。
とにかく、全国大会出場を目指した、楓君の短い夏は終わりを告げ、
早熟の天才プレーヤー七瀬 楓の選手生命は、儚くも終焉の悲愴な鐘の音を
響かせ、この小説の悲劇の主人公である楓君には、更なる地獄の季節が
宇宙空間に開いたブラックホールのように、待ち受けているのであった。
本当の物語は、これから始まるのだから。

第十一章・・・完

これで、この掲示版に書き込む、この小説は終了しましたが、また次の小説を書くかも
知れませんので、時々、このスレは意味も無く上げます。
作者が忘れていたら、上げてください(*^_^*)

sage  pre  等幅 書き込み後もこのスレッドに留まる
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